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見テ知リソ
エンジュの広場
馬のしっぽはり中3
 見テ 知リソ  知リテ ナ見ソ
 
 私たちは「知る」ということをとても大事なこととして考えている。しかし
、ものごとを判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固
定観念が邪魔になる。知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚
を失うな、おのれの直感を信じて感動しよう、という意味ではないだろうか。
自分が感じたことは絶対である。しかし、自分の感性を信じつつ、一般的な知
識や、他の人びとの声に耳を傾ける余裕、このきわどいバランスの上に私たち
の感受性というものは成り立たなければいけない。
 
 小学校四年生ぐらいの夏休み、母が「お昼ご飯外に食べに行かない?」と言い
出した。雑誌で横浜中華街の特集で「お昼のランチがおいしいお店30!!」みた
いなのが載っていて、どうやらその中で行きたいお店があったらしい。お腹を
空かせながら暑い中を母と二人でその店に行ってみると、たくさんの人が母と
同じ本を見た人が多いらしくてかなり長い行列が出来ていた。期待をして入っ
て行くとお店の雰囲気からして第一印象は本当においしいのだろうかと思った
が、お店は汚くても味はいいかもと思い、わずかながら期待をして出てきたラ
ンチを食べてみると、雑誌に載せるほどおいしいとは思わなかった。母も、少
し不機嫌そうに会計を済ませて店から出てきて、ぶつぶつ文句を言いながら駅
まで歩いていった。
 
 みなさんご存知の「タイタニック」。あんまりみんながいいと言うものだから
、私もまだ見てないという子と一緒に見に行った。最後の方になって、ジャッ
クが死んでしまう所で泣いている人がいたけど、私はそんなに感動出来るとは
思わなかった。友達も同感だったらしくて、映画館を出てから二人でタイタニ
ックについての話で盛り上がらなかった。
 
 「才能とは自分自身を信ずる能力である」と言う名言があるように、自分が思
ったこと・感じたことは絶対だ。だから、誰が何と言おうと正しい。そう思う
ことは日常生活のなかにおいてすごく大切だと思う。しかし、この名言のなか
には人の意見を聞きいれるということも大切だ、という意味も込められている
のではないのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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