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「無知」の大切さ
アジサイの広場
りさあいす中3
 私たちは「知る」ということを大事にし過ぎている。物事を判断したり、味わ
ったりするときには、予備知識や固定観念が邪魔することがある。よって、見
ること、直接触れること、体験すること、また、自分の直感を大事にすること
、それが大切なことなのだ。
 
 このことは、芸術作品を鑑賞するときなど主に言われることだが、それだけ
ではなく日常生活の中でも無意識的に感じていることなのだ。街などを歩いて
いて、変わったデザインの服を着ているなと思ったことは、だれにでもあるこ
とだろう。しかし、良く見てみると一流のブランド品であった。そのとたんに
、その服に対しての自分の見方が変わったということは、良くある。自分自身
、何回も体験している、これは、その服がブランド物だったということを知っ
たために、自分の素直な見方、意見が変化してしまったということが言える。
ブランド物だからといって、その物の価値が高いわけではない。しかし、ブラ
ンド物は高級品であるという先入観があるがため、自分の意見はそっちのけで
、ブランド物にはしるひとが世界規模で大勢入る。
 
 ドラマなどでよく使われる話の中にも、物事を判断する時、固定観念が邪魔
をするということはよくある。
 
 知り合った人が、世界的にも有名な会社の社長だったということを、何年も
してから気づくというような話の内容だ。社長だったということを知ってから
、急にその人に対して気を使ったり、敬語でしゃべったりするということは良
くある話の内容だ。やはり、人間は「知る」ことによって、物事に対して率直
な意見を持てなくなってしまうのだ。
 
 学歴社会ということもこの社会のあらわれではないだろうか。出身大学だけ
で、就職試験が有利になったり、不利になったりする。出身大学を知ることに
よってその人自身を判断してしまう。これは、本当のその人の良さを分からず
に会社に入れたり、入れなかったりしてしまい、適切な人材を入手することは
、非常に難しい。
 
 「行動するためには多くのことに無知でなければならない」という言葉があ
るように、なにかを始めてするときは、なにもかも裸の状態で行うべきなのだ
。そうすれば、自分の素直な意見のままに物事を進めることができ、納得のい
く仕上がりになるだろう。私も、何かをし始めるときは、無知の状態で望みた
いと思う。無知であると、多少不安なことがでてくるだろう。しかし、それに
負けない精神力を持ち、自分の納得のいくようにやりたいことをやりとげてい
けるような人になりたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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