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「ものの見方の違い」
アジサイの広場
玲子あそわ高2
 科学技術の発展により発明された火薬。そして、鉄砲が生まれた。ヨーロッ
パではそれにより人間のあり方が変わり、騎士が兵士になり一つの部品として
調達される、代賛可能な存在となった。しかし、日本では少し違ったようだ。
たしかに武士は鉄砲の進出で代賛可能な存在にはなったが「武士」の精神を引
き継ぎ「武士」のあり方を失わなかったのだ。
 
 日本人はヨーロッパやアメリカの人々と比べ物や人に情を持ちやすい様だ。
たとえば、アメリカではドアのない車や窓のない車というただ走るだけの目的
にしか使えないような車が走っているのを見かけることは本当に日常茶飯事の
ようだ。そんなこと日本では考えられないことだ。日本では車を持っている人
のほとんどが自分の車をよく洗ったり磨いたりして大事に使っている。アメリ
カやヨーロッパの人達は車をただの道具としてしか扱っていないのだ。それは
とても合理的であるようだが日本人の私にとってはちょっと寂しい気がしない
でもない。
 
 もうひとつはある監督有名な監督がテレビで話していたのだが、その監督は
毎年ヨーロッパで開かれるある大きな映画祭では一番始めの取材はこの会社と
毎回同じある特定の会社に決めているそうだ。それはなぜかというとその会社
が自分の映画を見つけてくれ最初に世界に紹介した会社だからなのだそうだ。
でもその監督は最後に「あの会社の人はなぜいつも一番に取材を受けられるの
か理由をわかっていないかもしれない」と少し悲しそうに言っていた。
 
 わたし個人の意見としてはそれが機械であろうともものや人に対して愛着や
情を持つことはとてもいいことだと思う。しかし、持ち過ぎには注意したほう
がよいのではないだろうか。その事ばかりにとらわれてしまい周りが見えなく
なってしまう危険があるからだ。自分の持っている情のせいで共倒れになって
は仕方がない。まずは周りを見渡し情や愛着を働かせても良い場面かどうか見
極めることが大切だ。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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