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落ちてきたら
ウグイスの広場
○○○○うい中3
<img src="http://www.mori7.com/izumi/icon/icon001/huusennao.gif"
alt="img"> 落ちてきたらという、詩の生命は「美しい願い事のように」とい
う比喩にある。その比喩の中には、「月とスッポン」のように非常に遠いもの
を結び付けて、それが逆により強調する効果を生み出し、長く私たちの印象に
残ることになったものがある。そういう比喩は、「赤ん坊が火がついたように
泣く。」というように日常生活の会話で使うと、効果的に表現がいきてくる。
また、比喩は詩歌で古来重要な役割を担ってきた。比喩には分かりやすく説明
したり、より強調させたりする不思議な力がある。
 
 私もバスケットをしていた時などには、比喩によってかなり救われたことが
ある。その一つがレイアップシュートの時だ。一番最初に練習しはじめたとき
は、ゴールには入るのだがいまいち実感がなかったが、先輩から「ゴールに置
いてくるような感じ。」と言われ、すごくよく理解できたことを覚えている。
 
 また皆の前での演説などの、自分の意見をもっと相手に伝えたいときなどは
、強調の意として使われる。たとえば、「私の心は今、晴れ上がり雲一つない
」というように、美しい青空に私の心を例えることによって、快い感情を夢幻
的に美しく表している。
 
 比喩はこれからも色々な場面で使われていくだろう。それだけ便利で素晴ら
しいものだから。しかし比喩ばかり使っていくと、逆に深いために、何もかも
が分かり難くなる恐れがあるかもしれない。だから今のようなつかわれ方がベ
ストだと私は思う。比喩とは、薬と麻薬のように表裏一体なのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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