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物の見方(この前の続き)
カモメの広場
チョロすけふか小6
 日本人はコオロギの鳴き声をとてもスバらしいものだと思っているらしい。
僕もそう思う。あの「リーリー」と言う鳴き声は、聴く者に感動や、安らぎを感
じさせる。なんて言うのは日本だけみたい。外国人に言わせてみればコオロギ
なんて雑音にすぎないらしい。感動や、安らぎどころか、うるさくて聴く者に
イライラを感じさせる。(笑)いわば害虫のような存在なのだ。(ひどい)
 
 コウロギの声を美しく思っている日本人とコオロギの声を雑音にしか感じて
いない外国人。   なぜにこんなに違うのだろう?・答え・それは知識や習
慣が違うからだ。
 
 習慣が違うと物の感じ方・物の見方を変える。例えば前回勉強したインド人
と日本人。
 
 日本人は金持ちだから新品の自転車を捨てていく子供をよく見かけるが、イ
ンド人は絶対そんな事をしない。インドは生産量が乏しく自転車などが滅多に
手に入らないので一度使ったら徹底的に使うのだ。
 
 このように習慣が変わっていると物の見方や、物の感じ方が変わってくるの
だ。
 
 又、知識も物の見方を変えてくる。例えば目の前に大仏がいたとする。大仏
は偉い人なんだよ」と言う知識があれば「へーーありがたい石造だね。」と、思
ったりする物だが、そういう知識がないと「ほ――個性的な石造だね。」とこう
いうにかたになってしまう。
 
 日本人は夜道を歩いていると「ううー……幽霊が出るよ――。」なんてゆう
けど外国人は絶対似ゆわない。頭の中に幽霊なんてうゆうものがないからだ。
 
 人間は文化や習慣が違うとおなじものでも違う物に見えてかる。だが違う物
に見えても本当の見方、本当のすがたは一つしかない真実はいつも一つなのだ
。物の実体を知る為には、まず、自分の物の見方をただしいと思わない事だ。
と思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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