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身体の限界は?
アジサイの空の広場
吉見/こと大3
 身体は皮膚に包まれている肉の塊と誰もが思っている。しかし時々、疑問に
思うことがある。例えば怪我をして一時的に松葉杖を使って歩かねばならなく
なった時、最初は持ち慣れない松葉杖の感触が、ぎこちなくて仕方ない。しか
し持ちなれてくると手の感覚が手と松葉杖の接触点から松葉杖の先端に延びて
松葉杖の先で地面の形状や固さを触知している。つまり感覚の起こる場所が手
から松葉杖の先まで延びたのだ。同じように私たちの足裏の感覚は直接、接し
ている靴の内底ではなく地面と接触している靴の裏面で起こる。私たちの身体
の限界(境界)は、どこにあるのか。
 
 私たちは長年、住んだ土地には愛着を持つようになる。近所の公園を自分の
庭のように意識したり昔、通った学校の横を横切るだけで懐かしい気持ちが湧
き起こる。見慣れた建物が壊される時は寂しく思う。たかが空間、物体に何故
このような様々な感情が生まれるのか。それは町そのものが自分の体の一部に
なっていたからではないか。このように考えれば私たちの身体の限界は一つの
町にまで広がることになる。
 
 私は今年の夏、タイへ初めての海外旅行をした。友人と二人の旅行だったが
非常に緊張した。ホテルから一歩、外へ出るだけで不安感、緊張感に襲われる
。外はタイ人ばかりなので当然、日本語は通じない(タイ人は目つきが鋭いの
で結構、怖い)。自分の体が非常に重く感じ歩くのも、ぎこちない。慣れるま
では、このような状態が続いた。つまり私の気分が縮こまっていた時は、私の
身体は収縮し自分の肌ですら外部のように感じていたのだ。
 
 このように私たちの身体の限界は、その物体としての身体の表面にあるわけ
ではない。私たちの身体は、その身体を包む皮膚を超えて伸縮する。普段、自
分の故郷から離れて生活している人は時々、非常に故郷が恋しくなる時がある
という。それは自分の身体が故郷と一体化しているからではないか。タイから
戻って自分の地元の土地を踏んだ時、安心感が湧き起こった。この土地は間違
いなく私の一部である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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