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もっと肉食が
アジサイの広場
武照あよ高2
 「我々はお化けや妖怪を、合理性の導入によって追放してきました。お化け
や妖怪は我々の不安や脅威の感情の中に生きています。やはり人間の世界とは
別にお化けの世界と言うのがあって相互に関係し合っているのでしょう。お化
けや妖怪の世界から我々の世界を見てみると多くの事が見えてくるはずです。
 
 妖怪やお化けを長年描いてきた漫画家、水木しげるはこのように言う。日本
文化、それは日本人が心の中に引き継いできた「妖怪」に他ならない。気付い
てみると、我々は妖怪と共に多くの物を失ったようである。我々は戦後、欧米
の文化を折衷し、模倣することによって受け入れてきた。欧米の文化は優れて
いるといった一種のイデオロギーが我々の中で確かに今も生きているであろう
。しかしそれがまた、伝統の根を持たぬが故に軽薄なものとなっているのも事
実であろう。我々は日本文化の中に引き継がれてきた「妖怪」にもう一度目を
むけてみる必要があるのではなかろうか。
 
 日本が「妖怪」を捨ててきた背景には、他国との文化の力関係と言うものが
あるであろう。かつてアメリカ人であるリービ・秀夫が日本語で「日本の」小
説を書き、話題になったことがあった。しかしこれは我々の中に文化の力関係
が生きている事を暗に示している。日本人が英文で文章を書くことは珍しくな
い。そしてまた我々はそれに違和感を持つことも無い。リービ・秀夫が日本人
の中でも日本語に通ずる「小説家」として登場したことに、我々は力関係の逆
転を感じ驚いたのである。
 
 この文化の力関係は、文化自身の絶対的価値によるのではなく、国と国との
政治的、外交的、軍事的あるいは経済的な国力によって決まっているようであ
る。日本は戦後アメリカの力の中で成長してきた。その国力の差が、アメリカ
の文化の絶対性を生み出したのである。国家間だけではない。鎌倉彫りなどは
、鎌倉幕府によって保護された寺社の生活用具が、庶民に広まったものなので
ある。また我々は逆の場合も見ている。戦時中、日本は軍事的に占領した満州
に日本語教育を行った。文化は高い所から低い所へと流れるのである。
 
 確かに「妖怪」が生きている社会と言うのは、かつての国風文化や鎖国時の
日本のように、新しい文化の生まれにくい閉鎖的なものになり易いのも事実で
ある。しかしながら妖怪の世界との相互理解を止めてしまった社会と言うのは
自らの社会の美しさが見えぬ社会に違いない。水木しげるは今でも時間があれ
ば外国の妖怪を探しに出かける。がいこくの妖怪にも日本の妖怪とどこか通ず
るものがあるのだと言う。外国の文化に合わせるのでもない。自国の文化を押
し付けるのでもない。お互い違う文化だと認め合うことから、日本の「妖怪」
はまた息づきはじめるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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