そして時代は流れ… |
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拓馬 | / | ねき | 中2 |
今「ら抜き言葉」に関心が集まっている。 |
「ら抜き言葉」をめぐる落差と断絶自体が、国語問題の現状を反映している |
と見ることもできる。「ら抜き言葉」が普通に使われている地域もある。 |
根本には、言語観の違いも横たわっている。 |
審議会の役割も変わってきた。当用漢字や常用漢字を決めるなど国語政策の |
中核を占めていた時代からは様変わりしている。そうした規制を緩める方向に |
向いているというだけでなく、影響力自体も弱める方向に向かっている。時代 |
の変わり目で、私たちの言葉をどうしていくか、各自が考えていく必要がある |
ということだ。 |
仮に、ら抜き言葉を「新しい物」、その他を「古い物」として考えてみよう。 |
「古い物」の規則を、無理に「新しい物」に取り入れても、果たして意味があ |
るだろうか。言葉は保守的な物ではあるが、新しく構成しても悪いことはない |
はずである。たとえ「古い物」が形式的に正しくても、実際に実用する時までい |
ちいち気にしていては、ただの揚げ足取りの人間になるだけである。どうして |
も私には、「新しい物」を批判するのは、「古い物」の存在価値をかろうじて保つ |
ための口実にしか聞こえない。 |
何も私は、使いにくく、古臭い、それでも・・・形式的には正しい物を完全 |
に批判するわけではない。いつの時代も、「基準」というものは必要だし、これ |
がなければ、言葉がそれぞればらばらに一人歩きしてしまう。基礎がなければ |
その先がないように、これも同じである。 |
ただ、何にしても、「古い物」は、「新しい物」を批判しすぎだと思う。その逆 |
もあるだろう、と言うこともあるだろうが、それは最初から、「古い物」が喧嘩 |
腰で来るからである。「『新しい物』は間違っている」という前提のもとに論議 |
してくる。「別にそれによって困る人がいないならそれで良いじゃないか」と |
いうことを言えば、「そういう問題じゃない」と言う。じゃあ、どういう問題 |
なんだ。そこまでして古いものを残す意義がどこにある!?といいたい所である |
。しかし、それでは、完全に古いものの批判になっているので、こういう言い |
方は止めよう。しかし、何にしても、古いものを過保護する必要はない。過保 |
護しなければなくなってしまうほど、やわなものではない。だから、古いもの |
が絶対のような言い方は、誰だって嫌なものである。 |
「できあがった規則を何とか守ろうとすることよりも、実態に合わせて規則 |
を変えていくことが、真に規則を生かす道である。」という言葉を聞いたこと |
がある。出来あがった規則→古いもの、変わった後の規則→新しいものと考え |
れば、私がこの言葉をここに用いた理由が分かるだろう。 |
日本には昔、「大日本帝国憲法」という天皇中心で、天皇に背けば死あるの |
みという今から考えればかなり目茶苦茶な憲法があった。しかし、そのような |
ものでさえ、今の「日本国憲法」の基礎になった、といっても嘘にはならない |
だろう。新しいものは本当に必要なものだ。しかし、そのようなものは、古い |
ものの作った土台の上に建っていることを忘れてはならない。土台が無ければ |
、ものは存在しえないのである。だから、理解を甘く持ってはいけないのであ |
る。 |