バルカンの歴史は |
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バルカン地域の問題は過去が現在を決定するというよりは、現在が過去を操 |
っているといえる。かつてフロイトは二人種間の違いが実際には小さければ小 |
さいほど、その差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、その現 |
象を「微差のナルシシズム」と呼んだ。クロアチア人とセルビア人の見分けが |
付かなくなってきたので双方の民族主義派の政治家たちは「微差のナルシシズ |
ム」を利用してとんでもない作り話をこしらえた。しかし、この作り話がなぜ |
根づいたか、民族共生の平和はなぜ崩れたかはいまだわからない。 |
私達は確かに似通った者に関心を持ったり、その少しの差を憎みがちである |
。例えばいじめなどでも、同じような性格の人はいじめの対象にされやすいが |
、全く違った世界の人はあまりいじめの対象にされない。又、世界の国同士で |
も、先進国のヨーロッパやアメリカ、日本などの少し似通ったところがある国 |
同士では、摩擦があるが、どこかの美味しいフルーツかなんかがとれる裕福な |
島などはいわゆる先進国と言われている国々とは全くちがう生き方をしている |
ので、あまり問題にもされない。このように「微差のナルシシズム」はさまざ |
まなところで起きている。 |
では、どうしたら微差を気にしなくなるのだろうか。それにはまず、自分に |
自信を持つことである。自分と相手を別のものと考えれば良いのではないか。 |
相手を「自分と似ているのに、少し違う」という見方をするとどうしてもその |
、少しの差が気になってしまう。まるで仲間を作らない孤独な人のようなイメ |
ージになってしまうかもしれないが、「仲間」と、「自分と似ている」という |
のはまったく別のものであるから、自分と相手とを最初から全く違うひとりの |
人間と見ていれば良いのだ。 |
相手と自分の差を比べてそれを目標にし、相手をライバルとしてとらえるこ |
とは自分自身の向上のためには良いことである。しかし、「才能とは自分自身 |
を信ずる能力である。」ということばがあるように、相手は相手、自分は自分 |
、と、相手と自分を切り離して考え、相手と比べなくても自分が理解でき、自 |
分に自信をもてる人になることが一番良い方法であると思う。 |