作曲に集中しているとき |
イチゴ | の | 池 | の広場 |
太一 | / | あうけ | 中1 |
作曲に集中しているとき、不意に、音楽というものが、自分の知力や感覚で |
は据えようのないものに思われることがある。作曲という仕事は、どうしても |
音を弄り過ぎて、その音が本来どこからきたのかという痕跡まで消し去ってし |
まう。だが音楽という有機的な流れの中では、その響きは千変万化するもので |
、その表情の豊かさは、まるで、生きたもののようである。ではなぜ、音は、 |
恰も生きたもののようにその表情を変えるのだろう?答えは至極単純に違いな |
い。即ち、音は、間違いなく、生き物なのだ。そしてそれは、個体を有たない |
自然のようなものだ。 |
自然から学ぶことはあまりにも多い。自然の記憶の層の、深い、遙かな連な |
りを見出すのは、とても容易なことではない。 |
夏よく使う、クーラーは完璧な人工の「涼風製造機」だ。だけど、自然と吹 |
いてくる風とはかなり違う。自然の風は、どんなに当たっても体がおかしくは |
なったりしない。だけど、クーラーの風は当たりすぎると風邪を引くことがあ |
る。僕の体験では、ある暑い日、車に乗っていてクーラーをかけているとなん |
か肌がかさかさしてきたので(僕はそれが嫌い)親に |
「クーラー切って!」 |
と行った。やっぱり太一はクーラーが嫌いなんだ、という顔をしながら親は |
クーラーを切ってくれた。この文に書いてあったようにぼくはクーラーがきら |
いだ。いつも、窓を開けて、涼しい風を待つか、扇風機をかけるかだ。 |
少し話がずれたけれど、。人工はいいところもいっぱいあるが、どこかで |
環境を悪くさせてるかもしれない。それに比べて自然は、元々が自然だから悪 |
いところはほとんどない。だからやはり人工もいいが自然が一番だと思う。 |