実は現在インターネットの |
アジサイ | の | 丘 | の広場 |
T.O | / | いう | 高3 |
インターネットは、もとは研究者の間の科学研究用の情報ネットワークであ |
り、そこでは資本主義化への力と贈与交換の世界に引き戻す力が交錯している |
。科学者の集団というのは情報を交換する際に名の通った研究機関に属してい |
ることを言えば信用するように、名前が重要な役割を果たす、贈与交換の世界 |
そのものである。しかし、インターネット上で贈与交換を維持する動きは、ど |
んな人でも参加できるというネットの長所と一定の人間の間での信用を基礎に |
する贈与交換社会の性質において矛盾するので、暗号を設定しネット上での自 |
由な行き来を制限せざるをえない。また、最近ではボランティア活動に携わる |
人が増えているのだが、ときには福祉の名を借りて施設の建設費用を横領する |
人間もいたりなど不完全である。 |
ボランティア活動はインターネットと同じく誰でも気軽に参加できる事項の |
一つである。個人の自由で自分の利益を追求する資本主義的考え方とは異なる |
、個人の勝手で他人の利益のために尽くす「無償の行為」の考え方が浸透して |
きているのも現代の特徴である。しかし、ボランティアはあくまで「精神」の |
問題でありそこまで拘束する法律はなく、その弱点を突いて私腹を肥やそうと |
するようなボランティアに資本主義を持ち込む人間も少なくないのも事実であ |
る。 |
贈与交換社会が発達しだすと、過剰な競争が進みアダム・スミスの言う「神 |
の見えざる手」で幸福をもたらすどころか、弱肉強食の荒涼たる社会に成り果 |
てる危険性が生じてくる。実際にアメリカでは個人の独立性が高いだけにその |
可能性が高いと思われる。これを打開するには、極端なものではなくとも全体 |
主義的な考えを復興させるのも手ではないだろうか。 |
資本主義が世界の発展にもたらした成果は決して否定できない。個人がそれ |
ぞれ自分の利益から追求しはじめたからこそそれが積み重なり結果として全体 |
の発展につながったのだ。しかし、個人が自分のためだけに生きていたのでは |
原始社会と大して変わりがないように思える。他人のために生きることもでき |
ると考えられるようになってはじめて成長があるのではないだろうか。 |