追求することの重大さ |
アジサイ | の | 滝 | の広場 |
りさ | / | あいす | 中3 |
今までに見たこともない珍しい物を見たとき、まず考えるのは素直に目でみ |
た物に対しての外面的なこと、いわゆる形態や振る舞いである。幼い頃は、外 |
面的なことを追求するだけで満足していた。しかし、中学生にもなると外面的 |
なことだけを追求するだけではものたりなくなり、その物事の奥にひそんでい |
る原理までを追求するようになる人が増えてくる。人間として外面的なことば |
かりを知っている人は物知りにも見えるが、人間性としては、奥深くまで考え |
ることの出来る人の方が立派なのである。 |
では、どうしたら物事に対して奥深くまで考えられるようになるのだろうか |
。それは、普段の生活からすべてのことに疑問を持つようにする、なにもかも |
素直にうけいれてはいけないという考えを持つことである。なにもかも世の中 |
の矛盾さえも素直に受け入れてしまっては、自分というものがなんのためにあ |
るのか分からなくなる。身近な例としては、数学の定理などがいえる。教科書 |
には定理がたくさん書かれているが、どうしてその定理がなりたっているのか |
理解している生徒は数少ないであろう。なぜなら、学校側は頭に定理をつめこ |
むことだけに重点をおき、その過程はあまり重視していないという教え方をし |
ているからだといえる。 |
現在、日本の歴史の教育は戦争での被害者としての体験、事件が主だ。この |
ような教育を受けている私達は、戦争に対しての考え方が被害者的立場になっ |
てしまいがちだ。しかし、歴史の奥そくには加害者としての日本というものも |
大きく位置している。加害者側の日本という立場からの教育は長い間日本では |
避けられてきた。やっと最近教育されるようになってきたが、まだまだ不十分 |
だ。歴史の奥底をさぐってみれば、残酷な日本が見えてくる。その残酷さを知 |
ることも、日本にとっては大切な教育なのだ。 |
確かに現象に目を奪われることも大切だ。まず、現象を探ってからではない |
と、その物事の奥深くは見えてこない。しかし、現象を探るだけで終わってし |
まってはもともこもない。あくまで現象を探ることは段階にすぎないのだ。 |
「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物のことである」という |
言葉があるように、その物の奥底に秘めている良い面がまだ知られていないも |
のがたくさんある。そのものの良い面をしるためにも、奥深くまで追求するこ |
とは大切なのだ。 |