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これからの日本は(感)
アジサイの広場
アツコとれ大1
言葉の森  10.3週  これからの日本は(感)
 
 とれ  矢崎 温子  10月25日
 
 
 最近、日本の電車の中での外国人率は上がっているのではないか、と私は思
う。電車に乗っていると、日本人だと思いきや、アジア系の人が元気に外国語
を話している。日本を好んで住んでいたり、英語教師をしたりしている欧米の
人も多くいる。また渋谷や原宿なども然りである。実際、そういうことはロサ
ンジェルスでは珍しいことではないようだ。
 
 つまり日本でもとうとう人種の、つまり文化の混在“mixture”が現在進行
形であるといえるだろう。
 
 正直なところ、私などは、外国人を見ると驚いてしまうことがある。それは
私だけでなく、多くの日本人がそうであるだろうと思うと同時に、それにより
これから先、多数のトラブルが起きるのではないかと私は考えている。既に、
外国人労働問題といった問題があるが、それだけではない、大きな問題を懸念
している。 つまり、上記の問題は外国人にとってのもんだいであり、私達が
解決を施す必要があることだが、我々にとっての問題で、我々が我々自身に解
決を施すべき問題があるということである。
 
 私はつい先日、同世代の韓国人と友達になった。彼女は朝鮮大学校に通い、
政治経済を専攻しているという。私が日本をどう思うか、と尋ねたら、彼女は
ずっと日本に住んでいるけれども、母国だとは思わないと言った。又、両国の
歴史についても聞いてみた。「自分の国、韓国で過去にあったことはもちろん
、現在の政治や経済状況と、日本でのそれらを、どちらも知っておくことが重
要だと思ってる。そうでないと自分のルーツを失うから。」そのとき、私はや
はりそうだ、と思った。こういう人々は私達日本人にはない、何か決定的な危
機感を持っているのではないだろうか。つまり、我々は日本で生まれ、日本に
育ち、日本人の両親を持ち、自分のルーツを探し求める必要がない。するとそ
ういうことに危機感を覚えたり、考えたりすることのないままでいる。文化の
混在は進んでいても、
 
 このままでは、自分を、あるいは祖国をしっかりと見つめている在日外国人
に遅れをとる日がくるのではないだろうか。
 
 確かに日本文学も日本を見つめる際に大きな重要な手掛かりになるだろうと
思う。しかし、大切なことは、そこに日本人的な要素を見出すことによって、
典型的な日本人を写しだしたり、描いたり、そこに執着したりしない、という
ことだ。
 
 例えば、部屋に外国人と自分だけがいたとしよう。そのとき、私達はどうす
るか?「日本は、、、」と日本という殻に閉じこもるか、それとも「私のルー
ツは日本にある」と潔く認め、その人と人間として大人の会話や関係が築ける
か。そこでその人の人間性が、日本人としての自覚や認識が、問われてくるの
ではなかろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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