私は長いこと京都に |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
さやか | / | あおべ | 高1 |
僧侶は自分が僧の座に座ることによって自分を安住させ定着させているので |
、自らを一個の人間に戻し、その裸身を改めて見つめ直すという宗教者として |
の基本的な心構えは、霧のように消えていく。また教師達も高慢なエリート意 |
識をもっている。それはひごろ教師達が、自分たちよりも年齢の低い生徒達ば |
かりであるという環境がある。そういう人達を相手に教えていると自分の今の |
在りようや生き方を省みるということもしなくなる。人間として成長し続ける |
ためには、絶えず現在の自分の生き方を恥じる必要がある。自らを恥じるとは |
、自らを客観視する別の眼をもち得ることである。 |
確かに先生は偉そうな態度をとるなあといつも思う。中には「私はあなたが |
たの先生であり、あなたがたに勉強を教える立場ではありますが、だからとい |
って私があなたがたよりも偉いとかそういうわけではありません。」ときっぱ |
り言う先生が私の学校にはいますが、そのほかほとんどは偉そうである。例え |
ば、私の学校の美術の先生はとても絵が上手で先生の描く絵は一枚百万以上で |
売れるらしい。しかし、美術の時間はただ、「今日からなになにの絵を描いて |
ください。」と言うだけでなんの指導もしないのだ。私はあまり美術が好きで |
ないこともあるが、いっつも廊下を大きな態度で歩いているその先生を見ると |
、「いくら自分の描く絵がすごいからといって私はあなたからひとつも教わっ |
たことがありません。」と思う。又、私が中学三年生だったころの担任の先生 |
もとても偉そうだった。ある日先生がクラスのみんなにお説教をしているとき |
のこと。いきなり「しのはらさん、あなたその目付きはなに?」と言われてビ |
ックリしてしまった。私は「えっ?」と突然のことで驚いていたが、「あなた |
目が反省してないのよ、全然っっ。」とさらに付け加えられた。その時私はな |
にがなんだかわからなくて「すいません。」などといってしまったが、あとで |
よく考えたら、ものすごく腹の立つことだ。私は生まれつきこの目付きなのに |
、いきなりそんなことで怒られるなんて、先生は自分を何様だと思っているの |
だろうかと思った。先生のことについては考えれば考えるほど、「まったく偉 |
そうに」と思うことがたくさんある。私ももし上の立場になったらこうならな |
いように気をつけようと思う。 |
又、先生に限らず、上の立場にいる人は結構偉そうである。例えば、最近神 |
奈川県警の不祥事が問題になっている。県警トップの人がそのようになってし |
まうのは、つねに他人を取り締まっていて、自分の生き方を省みることがなか |
ったからだと思う。 |
自分の生き方を省みるということは自分を客観的にみることであり、それは |
かなり難しいことである。しかし、「他人から尊重されるためには、まず自分 |
で自分を尊重できなければならない。」という言葉があるように、つねに自分 |
を磨くために自分の生き方を省みてよりよい人間になって行くことが、すばら |
しい、みんなの上に立つこともできる人間であると思う。私も、上に立つ人間 |
にならなくとも、自分を見つめ直し、よりよい人間になって生きたいと思う。 |