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ポイ捨て
アジサイの広場
T.Oいう高2
 最近だけのことではないが、駅のホームで電車を待っていたり、通りを歩い
ているときにふと足元を見ると多くの人に踏まれて黒く変色したガムやたばこ
の吸いがらなどが当たり前のように道にへばりついている。他にも公共の場が
空缶や菓子の袋などが散乱し、違った意味で色鮮やかで呆れてしまうような光
景になっているにもかかわらず、人々は素知らぬ顔で通り過ぎていってしまう
。モラルが欠けているからこのように何でも平気でポイ捨てしてしまうのだが
、そのことに何の警告もせず、野放しにしている社会も問題である。
 
 最近の教育は「自分の身の回りをきれいにする」ようには言うが、それ以上
のことを要求しない。自分だけよければそれでよいというところで、そこから
先には決して進まないのである。また、周りの人もみんなやっているから自分
一人が何か捨てたところで大したことはないだろうという意識が根づいてしま
っており、かえってきちんとごみ箱に捨てる方が珍しい目で見られる。学校の
授業中でノートをとっている最中、消しゴムのかすがでるとつい手で払って床
に落としてしまうが、これも立派なポイ捨てであり、集めて捨てるのは当たり
前なのだ。ごみ箱までわざわざ捨てに行くのが普通と思えるようにしなければ
ならないのである。
 
 人間は、強い意志だけで何かをし続けることは非常に難しく、罰則あるいは
利益がらみでないと動かないことが多い。「浦島太郎」では子供たちは良心の
呵責があったから亀をいじめるのを止めたわけではなく、自分たちより強そう
な浦島に怒られたくないから止めただけである。また、清潔なことでは有名な
シンガポールも「ポイ捨てには多額の罰金」といった制度があったからこそ成
り立ったのであって、もしそれがなく国民の意志にだけ任せていたらこうなっ
たかどうかはわからない。
 
 そもそも、ポイ捨てをなんとも思わなくなるほどものがありふれている現在
の状況自体に少なからず問題がある。買う、使う、少しこわれた、なら新しい
のを買えばいい、投げ捨てる、あとは知らないといった図式が出来上がってし
まうことがまずいのである。中でも最後の「あとは知らない」が確実にゴミだ
らけの社会をつくっているのであり、それを「知らぬが仏」と見て見ぬふりす
るのではなく、改正してゆくことがこれからを生きる我々の役目であり人間的
な成長である。