| 他面鏡 |
| アジサイ | の | 谷 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中2 |
| 私という存在があることほど、不思議なことはないのではなかろうか。自分 |
| の個人情報の大半は、自分で定めたものではない。それでも、その私としての |
| 生涯を貫かなくてはならない。私の不思議を判らせるのは、児童文学が優れて |
| いるといえる。自分の人生とは、物語なのだ。 |
| 私は、物語を見て感動するのは、その物語はある側面では自分の鏡になって |
| いるからだと思う。他者の目から自分の側面を見ることによって、共感を抱き |
| 、自分という存在の持つ物語が他者の物語を共有していることを認識する。私 |
| は小学4年生ごろ、「死」について考えたことがある。この頃は「私」という |
| 概念ができてきくる頃だというが、ちょうどそれが原因だったように思う。死 |
| について考えているうちに、死ぬことによって自分という存在がどうなるのか |
| ということを考えた。死ぬことで、自分を自分という認識ができなくなり、何 |
| も感じる事ができなくなる状態というのを想像してみた。それはひたすら恐ろ |
| しかった。私の生活には不満点が多いが、それでも自分が死に、不満点を無に |
| 帰すことは恐ろしいのだ。 |
| 「五龍亭」という本がある。あまり有名ではない小説だ。内容は、ファンタ |
| ジーの世界で、ある森の中の酒場に十何人かの人間が集まり、昔話をしたり、 |
| 最近の話をしたりして、自分の人生観を話すという物だ。この中に、ジャノメ |
| という泥棒がいる。彼によると、「死は恐ろしくない。むしろ悪くないが、死 |
| ぬことによって自分という存在が嘘になるのは恐ろしい」そうだ。だから、彼 |
| はなにか大きな事をやり、後世に「生き」続けようとするのだそうだ。 |
| この話を読んだ時、私は、彼のなかになにか自分と通じるものを感じた。生 |
| は時に苦痛であるが、その苦痛すらも、自分の持つかけがえのない財産であり |
| 、価値であり、理由であり、物語なのだ。 |
| 文学に限らず、優れた作品には感銘を受ける。それは共感であり、ある意味 |
| 最も正確にして不正確に写る鏡である。作品の登場人物は作られた人物だが、 |
| 人間性にリアリティを持たせるため、ある程度は現実味を帯びている。その人 |
| 間性の中に、共有される生き方、共有される観覚、共有される感覚がある。そ |
| の、さまざまな面のある鏡に写るのは、時には人生の意味かもしれないし、死 |
| の意味かもしれないし、ひょっとしたら小さな笑顔の意味かもしれない。芸術 |
| 作品とは、他面鏡である。 |
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| ・・・眠いっす!(--;)/(ぉぃ) |