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個性
ウグイスの丘の広場
荻野/あつ高3
 差異を示す事、攻撃性を示す事は、学校の中ではなるべく回避される傾向に
ある。しかし、そうすると子供には、自分が何であるのかの確認ができないと
いう漠然とした不安がある。他者危害の原則は、競争に勝ってよいということ
を含んでいる。自由競争の禁止ではなくて自由競争の条件の公平を保証するこ
とが倫理的な条件である。私も競争によって個性を発揮する場を作ることは賛
成である。
 
 私が小学生のとき、クラスの中では、個性をそれぞれが認め合っていたよう
に思える。勉強はできてもゲームの攻略のしかたが分からない、反対に、ゲー
ムの攻略法は知っているが勉強はできないといったようにそれぞれが自分の持
っていないプラスの部分を持っているから、あまりひどいことはできないとい
った暗黙の了解のようなものがクラスの中にあった。お互いの個性を知るとい
うことは、自分が持ちつ持たれつの世界に生きているということを分からせ、
そのことが結果的に無意味な攻撃しないということにつながると思う。個性と
は育てるものではなく育つものである。
 
 親が男女の子に望む職業の1位が、男の子が公務員で女の子が教師である。
これは1997年に調査されたものだから親はだいたい80年代に学校に通っ
ていたものと思われる。80年代の学校教育というと学校の生徒に対する圧力
が強かった時期で、この時、強要された個性の均一化が子供の職業の安定性と
いうことに結びついていると思う。
 
 雑草とは、まだ、その植物の美点が発見されていない植物のことである、と
いう言葉があるように学校の生徒一人一人にも発見されてない個性があると思
う。
 
 将来、個性を持たない大人で日本があふれれば、日々の生活はつまらなくな
るだろう。