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日本流「謙譲の美徳」
アジサイの広場
小山くさ中1
 日本のある会社が香港で現地の人間採用しようと求人広告を出したという。
「日本語のできる人を求む」すると瞬く間に「我こそは日本語が達者である」
と胸を張ってたくさんの香港人が押しかけた。しかし、実際には挨拶程度しか
日本語を話すことができなかった。それに比べて、もし日本人が、「あなたは
英語が話せますか」と問われたら、たいがいの日本人は、「少しだけ」と答え
るだろう。これが日本流「謙譲の美徳」である。私はよく、強気の発言をしと
いて、その直後もし違ったらどうしようという不安感を覚えたという経験が幾
度となく起きている。だから私は謙遜が大切であると考える。そう考える理由
は二つある。
 
 第一に、私の部活仲間で私から見て一年生でもうまい方なのに、自分はうま
くないなどのことを言ったり、ほかの人の方がうまいなど謙遜し続けている人
がいる。その人自身も、もし「うまい」といった場合、その責任を自分が背負
うことになり、ミスしたらどうしようということが一瞬、脳裏をかすめたので
あろう。これが日本流「謙譲の美徳」ではないだろうか。
 
 今の日本の総理大臣は「小渕けいぞう」であるが、小渕さんが総理大臣にな
った理由は自分を謙遜していたからであるらしい。謙遜している人間は人に親
われやすいのだろう。
 
 確かに、アメリカや香港などのように「我こそはと…」自信を持つというこ
とも大切である。だから、アメリカなどでは自己PRに成功し億万長者が生ま
れるのであろう。しかし、「正しい者は、悩みも多い」という言葉があるよう
に、正しい、つまり自分に自信を持っている者こそ、その責任をしょっている
ので悩みが多く、別の考え方をすると、謙虚な者こそ、その責任をしょってい
ないので悩みも少ないのではないだろうか。だから「謙譲の美徳」ということ
が大切である。