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知識とコンピューター
アジサイの広場
風間こと大2
 知識というものは個々人の内面の世界つまり、その個人の頭の中で育む事が
できる。今日のような情報伝達機能の著しい発達、中でもインターネットの誕
生は私たちの知識を増大させ、なおかつ向上させるものと今後そして未来にお
いて最も注目されている。しかし、どうも『個々人の頭の中で育む事ができる
知識』と『インターネットから取り出す知識』は別物の気がする。
 
 私に限らず多くの大学生は試験前に『レポート地獄』に悩むことになる。だ
が最近は昔よりかは楽になったと思う。もしレポートのテーマが『環境』だっ
たら『環境に関するホーム・ページ』を検索すればいい。そして、それを印刷
して自分なりのアレンジを加えてレポートを完成させる。こうすれば様々なデ
ータのある『内容の濃いレポート』ができる。確かに、そのレポートは良い点
数は貰えるだろう。しかし自分のためになるだろうか。自分で一生懸命、文献
を探して試行錯誤しながらレポートを完成させるところに本当の意義があるの
ではないか。
 
 今世紀、私たちは原子力というエネルギーを手に入れた。そのエネルギーの
使い道には原子力発電所という平和利用(実際には環境に影響を与えるのだが
)の方法もあれば原子爆弾という殺戮兵器という軍事目的の方法もある。これ
と同じことがインターネットをはじめとする情報メディアにも言えると思う。
すべては『使い道』なのである。
 
 元来、知識というものは自分の頭の中だけで育む事ができる。その育む手段
の一つとしてコンピューターがあるのだと私は思う。コンピューターは『使い
道』次第で私たちの知識を増大させ、そして向上させる。しかし、その『使い
道』を間違えると自分の知識を減少させてしまう結果となる。コンピューター
は私たちにとって一種の『諸刃の剣』なのである。(今回は失敗)