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芸術と点数
アジサイの広場
山口晃弘あう大1
 中学における教育の問題の一つとして美術の評価の在り方がある。美術は数
学や物理とは異なり共通の解答がないため、成績をつけることは不可能ではな
いかという指摘は少なくない。また点数による評価そのものに対する疑問もあ
る。外資系企業は、年功序列や終身雇用ではなく、本人の能力に応じて給与が
決まるため最近注目され、日本の企業も能力によって給与をきめる方向へ移行
しつつあるが、かえって上司に媚を売るだけの「茶坊主」をはびこらせるだけ
だという意見もある。
 
 このように人の資質に点数をつけることは多くの問題があるが、ではテスト
を廃止し、点数による評価をやめて、自由気ままに勉強させることによって解
決することができるであろうか。好きな分野を、思う存分に勉強する人もいる
かもしれないが、大半の人は全く勉強をしなくなるであろう。テストというも
のが一種のプレッシャーとして働いていることもその理由の一つであるが、い
くら努力しても評価されないと、大半のひとは、自分を向上させる意欲をなく
してしまうことが主な理由である。スポーツから勝敗・記録・順位取り去って
しまうと、選手がどうなってしまうかを想像してみれば、このことは明らかな
ことである。
 
 では、点数評価をどう修正すべきなのであろうか。それは評価に明確な基準
、ルールを設定することである。美術の評価が問題視されたり、企業における
能力制が「茶坊主」を生むだけであるとしてきされるのは、両者の評価に明確な
基準がないためである。その基準をどのように設定するかということも問題に
なるだろうが、企業においては、評価の根拠と方法を明確にすることが、上司
に対して「ゴマ」をするだけしか能力のない人間をはびこらせない対策となる
と思う。
 
 確かに点数評価を極端に重んじると、点数につながらないことは一切しなく
なる風潮を生みかねない。今の受験戦争の弊害はその点に集約できると言える
。しかし不良品を減少させることに成功したZDサークルは日本企業の誇るべき
システムである。したがって点数そのものが問題なのではなく、その採点方法
とその点数の根拠を明確にしていくことが大切なのではないだろうか。