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こればかりは
アジサイの広場
あずさあすな中3
 お金さえあれば何でも買えてしまう社会の中で、人々は偏った心を持ってい
がちである。しかし、豊かな生活とは、何でもそろっていることではなく、シ
ンプルな生活でも豊かな心を持って生きていけるということである。その豊か
な心は旅をしたり、日本文化の伝統の中からそういうシンプル・ライフを実践
した人を探し、その生とわが身の現在とを比較してみることで養うことができ
る。
 
 私達が普段必要だと思っている物は、改めて考えてみると、実は必要でない
物が多かったりするものだ。しかしそういう便利な物は時として人の心を狭く
、偏ったものにしてしまいがちである。
 
 「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」というのは、か
の有名な桃太郎の一節だが、今の日本に川で洗濯をする人はいない。洗濯機と
いう便利な道具があり、その中に洗濯する物をほうり込んで、ボタンを一つ押
すだけで、洗って、濯いで、脱水までしてくれる優れものであるからだ。けれ
ど、こんな物がなくても、昔の人が生きていられたのだから使わないで良いか
といえば、現代の川の水は水質汚濁によって洗濯出来る状態ではないし、まし
てやその水によって感染病にかかってしまったら、それこそ大変なことになっ
てしまう。
 
 人間が便利な物を創り出している背景には、行なってしまった過ちの跳ね返
りに対する一時の対策に過ぎず、それを続ければ今後どうなるかも分かってい
る。けれど、それこそが便利な物によって創り出された偏った心だということ
に気づくべきであると思う。