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           豊かさと幸福
アジサイの広場
小林ねき中1
 人間は生きていく上で、なんとわずかな物で足りるだろう。我々が生活の必
需品のごとく思いなしているさまざまな文明の利器など無くても人間は生きて
いけるのである。むろん、現代に生きる我々には、とても無一物の生活は送れ
ない。我々は現代文明によって甘やかされており、心身ともに脆弱になってい
て、とてもそんな厳しい生には絶えられない。しかし、心を無一物の生活に置
いてみる事は出来る。そして、そういう生き方をした昔の日本人の生と自分の
現在とを比べる事によって、初めて自分のおかれている立場を知る事が大切な
のである。
 
 豊かな事は、必ずしも良い事とは限らない。例えば、超大富豪の息子が「フ
ァイナル○ァンタジーほしいなあ」と思えばすぐにでも買えるし、「あ~ぁ、
退屈だぁ」と思えば、ゲーセンなんかだって行ける。しかし、こんな事ばかり
していると、「金で何でも出来る」という誤解をしてしまう。しかし、金で解
決しない事もあるし、得られないものもある。例えば、愛や勇気である。人間
を豊かにする要素である。こういうものが無いと、体は満足しても、心は満足
しないのである。こういうことが分からないと、人間としての価値が無くなっ
てしまう。また、こういう個人的な豊かさではなく、国としての豊かさを見て
みても、同じような事が言える。
 
 逆に、貧しいからといって、必ずしも悪いとは言えないのである。偉人は、
たいていの人が貧乏な家庭から生まれた。例えばサミー・ソーサ。去年の段階
で、野球にちょっとでも興味があった人なら、この人を知っているだろう。こ
の人の出身地はドミニカ共和国である。ドミニカはとても貧しい国で、ソーサ
はこのなかで、紙を丸めて作ったボールとバットで野球をしていた。このドミ
ニカでは、今でもそんな貧しい生活をしている。しかし、そんな環境の中でも
、決して不幸せではなかったという。そして、もって生まれた才能と、持ち前
の頑張りや精神で、ここまでのぼりつめたのだ。また、他にも、今年惜しまれ
つつNBAを引退したマイケル・ジョーダンや、数々の素晴らしい発明をした
エジソン、日本では、豊臣秀吉や野口英世などなど、言っていればきりが無い
ほどの偉人達が、もとは、とても貧乏な家に住んでいた。そして、当時のその
人々を認めた国も、それほど進んだ国ではなかった。こんなことからも、環境
が貧しい事=心が貧しい事ではない、と言うことである。
 
 また、温故知新の信念にもとづいて、童話「しあわせの王子」を思い出して
みよう。彼は、不幸な人々に、ツバメに頼んで、文字通り身を削る思いをして
まで、その人達が幸せになるように努めた。しかし、題名からも分かるように
、彼は自分の体は貧しくなっていくのにかかわらず、幸せだったという。おそ
らく彼は、周りの人の幸せが、彼自身の幸せになっていたんだと思う。
 
 決して、豊かなのは悪く、貧しいのが良い、というのではない。ただ、豊か
貧しいを言う前に、本当に幸せなのは何なのか、ということを考えることが大
切なのである。私達が生活の必需品のごとく思いなしているさまざまな文明の
利器など無くても、豊かな人間になることは出来るのである。例え無一物の生
活でも、心は、無一物にはならないのである。