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豊かな心
アジサイの広場
りさあいす中2
 アフリカなど、発展途上国の写真では、川で体や野菜を洗い、洗濯をし、お
祈りをするという光景をよく目にする。日本人から見れば、とても珍しい現状
に見えるが、アフリカなどで暮らしている人から見れば、それは生活の一部に
すぎない。一見、この写真を見ると、日本は恵まれていると思う人が大多数を
しめると思うが、本当に日本の方が恵まれているといえるのだろうか。
 
 確かに、日本は便利なものがあふれかえってる。しかし、自分たちがいかに
文明の提供する便利や快適に誘惑によって余計なものを多くもたされているか
、それら物の過剰によって生そのものを見えなくしているかに、日本人は気付
いていない。
 
 例えば、包装紙がその例としてあげられるだろう。このことは、誰もがパー
ティーなどで経験していることだと思うが、誰かにプレゼントするにしても、
自分で使うにしても、商品が厳重に包装されている。どうせ捨てるものなのだ
から、無意味なものに過ぎない。ただ、見た目が良いということだけで、環境
を破壊しているのだ。反対に、アフリカなどでは、包装などは全くしない。道
端で拾った花をそのままプレゼントするだけで、相手は喜んでくれる。心がガ
ラス玉のように透き通ってきれいなのだ。人間が心から幸せを感じる時はまさ
にこの時なのではないだろうか。
 
 実際、プレゼントをもらうより一緒に友達と話しているほうが幸せを感じる
ことが多いということは経験している。誕生日などで、プレゼントをもらうの
も、もちろん幸せだが、普段友達としゃべることの方が幸せを感じる回数は多
いのだ。
 
 「シンデレラ」でもこのことは読み取れる。どんなに貧しい生活をさせられ
ても、明るく素直に生きていた。物が豊かなことよりも、心が豊かなほうが、
幸せなのだ。
 
 アフリカの人々と同じような暮らしをしてみると分かるだろうが、物の無い
暮らしは、心が豊かになるのだ。そんな暮らしに日本は憧れるべきである。