| 堕生 |
| アジサイ | の | 谷 | の広場 |
| ペー吉 | / | うき | 中2 |
| 浪費文明に侵されない、素朴な生活とは、とても人間らしく、自然と調和し |
| ている。慌しい今の日本の生活より、ずっと上等な生である。人はとても少な |
| い物で生きることができる。現在の文明は、物の過剰によって生そのものを見 |
| えなくさせている。昔から日本には様々な無一物の生活を実践した人がいた。 |
| そうした生と自分の生き方を比べる事により、自分の置かれている立場がどん |
| なものかというのを知る事が出来る。 |
| 私は、現在の文明社会には、浪費のくさびが深々と打ちこまれすぎていると |
| 思う。このような状況下で、この作者が言うような「シンプル・ライフ」をおく |
| ることは不可能だ。私はテレビを見ない。私の家にクーラーは無い。しかし、 |
| 私はテレビを見ないかわりに、メールマガジンという情報源を持っている。無 |
| 一物の生というのは、現在の進歩している文明に目を閉ざし、自分の内的世界 |
| に目を向けるということだ。しかし、文明社会の中で生活している以上、ある |
| 程度は外界に世界が開かれていなければならないのだ。私が情報源を持たずテ |
| レビを見ていないならば、それは単なる社会不適格者であると思う。私も、人 |
| 類の生活には不必要なものが多いと思う。しかし、どこかで文明社会と接触し |
| なければ、現在の社会で、外界的には生きてはいけないと思う。 |
| 「杜子春」という話がある。金をなくした男が、仙人によって二度救われるが |
| 、ことごとく金を使ってしまう。金の減りに合わせて、友人は去っていく。そ |
| して、二度とも、また貧乏な男に戻ってしまう。この話は、物とは決して永劫 |
| 的ではないと示している。これもまた一片の真実だ。物はもたないにこしたこ |
| とはない。しかし、物がなくては人は生きられないのだ。ましてや、現在の社 |
| 会では。 |
| 私たちの文明は、物を必要としすぎるところまで堕落してしまった。私たち |
| は、物がなくては生きてはいけない。しかし、それはけして上等な生き方とは |
| いえない。私たちにとって大切なのは、現代文明の中で生きていくためには、 |
| 何が必要な物か、何が不必要な物かを見極めていく事だと思う。 |
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| ちょいとありきたりぢゃのう(^^; |
| 復活した小手調べってことで(爆) |