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ひとこと(8月4週)
どこかへ旅行が
アジサイの広場
冨田あよ高1
 チャールズ・ナイトという有名な古生物画家がいた。彼は当時の博物画家の
慣例でアメリカ自然史博物館に勤務して古生物学者の指示に従って「尻尾を引
きずり、間抜けで、動きののろい」恐竜のイメージを定着させた人物である。
そのため彼の絵にはそのままその当時の恐竜学の間違いが見られる。このチャ
ールズ・ナイトと対照的であると思われる古生物画家にグレゴリー・ポールが
いる。彼は自分の画集の巻頭で「私は人の言い成りになる画家にはならない」
と言い切っている。その代わり彼は絵に対する姿勢も徹底している。めったな
ことでは絵を描かない。化石を調べ尽くし骨格図を描き、筋肉図を描いてやっ
とキャンバスに向かう。その独自の姿勢が彼の一風変わった恐竜画を支えてい
るのである。あらゆる事に当てはまることだが、これまでの考えに革命の風を
吹き込むのは無難な考えに凝り固まらずに自分独自の方法、考えを持っている
人物であろう。
 
  自分独自の方法を持つには勇気がいる。自分独自の方法は多くの人を敵に
回すことになるからである。アインシュタインはホワイトハウスに招かれた時
、はだしに革靴というスタイルで大統領に会ったというが、それはアインシュ
タインの考えというよりその勇気の象徴であるように思われる。アップルコン
ピュータの宣伝ではないが「自分の手で本当に世界が変えられると思う」勇気
が自分独自の方法を支えるものになるであろう。
 
  しかし現在の日本で自分独自の考えや方法を行使して行くことは非常に困
難である。それには日本人という民族の特性と共に学校教育で勇気を育てる教
育が行われていない点がある。勇気を育てる教育というのは決してトラを教室
で放し飼いにするといったものではない。現在の大学では専門に進まなければ
基礎研究のみが重要視される。一回人が行った実験を何度でも繰り返す。しか
しそれ以上の独自の思想が必要になる理論になると日本人は世界の中で取り残
されているというのが正直な所だろう。
 
  シャーロックホームズの周りではよく事件が起きる。そしてホームズもほ
っておけば良いのに事件の解明に参加する。そしてホームズは驚くような推理
によって事件を解明して行くのである。もしもホームズが警察の横でうなずく
だけの存在であったなら、自分で事件に臨む勇気のない存在であったならホー
ムズはただの野次馬であり決して名探偵とは呼ばれなかっただろう。
 
  確かに無難な方法を積み重ねることは不可欠である。現在映画音楽でもっ
とも有名であろうジョン・ウイリアムズが古典的なオーケストラに基礎を置い
ていることは良く評論家によって指摘されるがこれまでの方法をたどることの
重要性を教えられる。人は全く新しいことを始めることはできないであろう。
ちょっと旅に行ってくるといって空中浮遊して行くことはできないのである。
実際あったら面白いかもしれないが。
 
  しかしいつまでもこれまでの方法に頼っていては何も生み出されない。滑
走路の走り方だけ繰り返し練習しても離陸しなくては意味がないであろう。勇
気を持って自分の方法、考えを行使して行くことが未だに尻尾をずるずると引
きずっている恐竜である日本人に求められている。