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鶏口のよさと牛後のよさ
イチゴの広場
酔月あも高3
 「明日から来なくていいから…」リストラ時代の今日の日本社会において、
もっとも恐れられる言葉といえよう。これが、アメリカ社会になると「こんな
所辞めてやるー!」という感じである。
 
 牛後になるなかれ。この言葉の理解が現代の日本社会に不足しているのでは
ないだろうか。牛後はとらの威を借りているに過ぎないことを生活の中で忘れ
てしまっているのではないであろうか。
 
 対策としては、自分のやりたいことを意欲を持ってやっていく、ということ
がある。仕方なくやっているということが向上心を抑制してしまう。ところが
、意欲を持つことで自分に自信が持てるようになって、プライドが生まれる。
これは、決して悪いプライドではないのだ。
 
 私が最近みたプレイステーションのCMはとても印象的だった。「うまいの
ね、こんな事だけ」「ま、誰にでもとりえはあるさ」「なんの役にもたたない
けどね」という、対話である。コマーシャルでありながら後者に共感してしま
った…。彼にはとりえがあるのだ。つまらないとりえでも、日本一あるいは世
界一ともなれば、上司にぺこぺこする者よりもずっと優れているように思われ
る。
 
 また、失敗やまちがった答えを評価するような社会体制が必要なのである。
プラグマティズムによれば、実用的なものこそが正しいのである。そのうち、
スラングや口語が正解になる日もくるのだろう。
 
 アインシュタインは、むかしビーダーマイヤー(のろま)と呼ばれていた。
彼の理解するまで考えるというやり方は、この時代から受け入れられてはいな
かった。一通りのやり方しか答えが無かったのだ。我々の社会にはやり方の違
う答えがあるかもしれない。それを間違えとして、終わらせてしまうのは、な
んとももったいないものであうる。
 
 牛後主義の将来性というものはまるでない。というのも、牛後であることが
、その人間を小さくしてしまうからだ。大きな人間が求められる今日の社会に
おいては、鶏口であることが必要なのだ。
 
 縁の下の力持ちとはいうが、結局のところ観戦者がつねに、縁の上にいると
いうことを忘れてはならない。