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無の文化と教育1 as/1340.html
森川林 2011/08/27 22:12 
修 削


 無の文化は、日本の社会においては、経済だけでなく、教育の世界にも流れています。



 日本の近代の欧米流教育は、有の文化の教育でした。教育の対象として「個人が有る」ということと、「その個人が身につけるべき何かが有る」という考え方が前提とされていました。

 その「身につけるべき何か」について、「何を」「どこで」「だれから」教わるのかと特定していったものが、教材であり、学校であり、先生でした。

 だから、現在の社会では、教育というと、教科書、学校、先生が不可欠であるかのように思われています。しかし、これは決して教育の本質にとって普遍的な要素ではなく、近代という時代の歴史に限られた要素なのです。



 もちろん、このような近代教育の採用は、日本が明治維新以降、西洋の文化という異質なものを急速に取り入れる必要があったために避けることのできないものでした。

 しかし、今日では、西洋の文化は、日本の社会の中にすっかり消化されて取り込まれています。これからは、日本が本来持っていた無の文化を教育の中に生かし、これまでの有の文化を包み込んだ教育を作り上げていく時期なのです。



 無の文化においては、人間は、個人として独立した実体であるよりも、社会関係の中で規定された相対的な何かとして見なされます。ある個人は、家族、地域、歴史、社会的役割などによって多層的に、その個人の外側から関係づけられた存在です。

 有の文化においては、教育とは、未完成な個人が何かを身につけていく過程でした。しかし、無の文化においては、個人は周囲の社会から既定された何かとして最初から完成されています。それは、あたかも、自然の中の動物が、生まれたときから完成されているのと似ています。

 例えば、ライオンやウサギは、教育を必要としません。自然の生態系の中で、自分の生きるポジションが決まっているので、よりよいライオンやウサギになるために、トレーニングに励むというようなことをしないのです。(あたりまえですが)



 無の文化においては、人間も、自然の生き物たちと同じように最初から完成している存在だと見なされます。

 しかし、人間は、成長の過程で、人間の自然にとって本来なくてもよい余分なものを身につけていきます。だから、それらの曇りや汚れを拭うために教育があるという考え方をするのです。



 有の文化の教育が「外にある何かを身につける教育」であるのに対して、無の文化の教育は、「内にある曇りを拭いとる教育」です。

 しかし、これはもちろん、何かを身につけることを否定するのではありません。外の何かを身につける前に、まず内の何かを拭わなければならないという考え方です。曇りを拭い続けているうちに、おのずから必要なものが身につくというのが、無の文化の教育の方法論です。

 例えば、日本では、技芸の修行をするときに、雑巾がけを5年、10年と続けながら、師匠の技を盗む、というようなことが行われます。

 有の文化の視点から見ると、このような教え方は全く非効率であるように見えます。しかし、ここに無の文化の教育の特徴があります。



 有の文化では、教えるものを特定します。Aという技術とBという知識を習得したあとに、Cを身につける、というような教え方です。それらを教えやすくするために、必要に応じて技術を更に細分化し、順序を決め、教材とカリキュラムを完備していきます。

 しかし、このような教え方をすると、教わるべき教育の内容が、教え手の教え方によって最初から偏っているということに気づきにくくなります。教育の内容が、特定化されることによって一面的になってしまうのです。

 また、教えることが特定されることによって、それをすべて身につけるということが可能になります。すると、限定されたものをすべて身につけることにより、慢心が生まれやすくなる一方、師匠の水準を超える弟子が生まれにくくなります。



 一方、日本のように雑巾がけをしながら技を盗むという教え方は、教える内容が教え手の主観によって一面化されていません。

 無の文化では、人間にはもともと自分の内側に完璧なものがあり、それを自分で悟るために、雑巾がけをしたり、師匠の技を盗んだりするという考え方をします。

 だから、進歩には際限がなく、永遠の完成を目指して精進を続けるという教育観が出てきます。そのときの教材は、自分であり自然であるのです。



 二宮尊徳の言葉に、「あめつちは書かざる経をくりかえしつつ」というものがあります。本を読んで、その限られた知識を身につけることが教育なのではなく、天地自然から学び続けることが教育だという考え方です。

 本居宣長は、「なぜ、日本には、インドの仏典や、中国の四書五経に匹敵する思想体系がないか」と問い、「それは、日本が、そのような事々しい教えを必要としないほど、いい社会だったからだ」と述べています。

 もし、教育において、教材が特定されていれば、その解釈をめぐって対立が生まれ、批判や論争が生まれ、最後は、物事の真実よりも、議論の巧みさや力関係の強弱によって正しさが決められるようになります。それが、今日の世界の支配的な宗教となっているものの現実の姿です。



 日本における無の文化の教育は、教材を特定して、それを教え込むというような方法をとりませんでした。人間は既に自分の内側に完全なものがあるから、それを自分で悟るために、日々精進し、師匠の技を盗み、天地自然に学ぶという教え方をしました。だから、教える人に必要なのは、教え方ではなく後ろ姿でした。



 ところで、曇りを拭うという無の文化の教育にも、方法論があります。人間はもともと完全な存在であるのに、後天的に、曇りや汚れや余分なものや不純なものを身につけます。その不純物を拭う方法として、日本の文化は、自然、喜び、反復などの方法を編み出しました。(つづく)



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