●新しい文化産業の時代
アメリカの経済は、依然として行き詰まっています。前例のない大規模な金融緩和にもかかわらず、実質的な生産も消費も伸びず、バブルによって株価だけが見せかけの活況を呈しています。
見通しのない金融緩和が、今後9月から10月にかけて縮小された場合、それに取って代わる役割を期待されているのが日本の金融緩和です。日本の金融緩和の原資は、今後年金資金になると言われています。アメリカに代わって、日本が見通しのない金融緩和を担うようになるのです。
しかし、このようなやりくりは、いずれ破綻します。その破綻の現象面としては、金融機関の倒産、世界貿易の縮小、物価の高騰、企業のリストラ、倒産、失業、更には、預金封鎖、デノミネーションなど、さまざまな形をとりますが、大きな目で見れば、本質的な変化は二つあります。一つは、不要なものがなくなること、もう一つは、本当に必要なものが生まれてくることです。
不要なものとは、本来何も価値を生み出していないのに、あたかも価値があるかのように高価格で流通していたものです。その多くは、広義の規制に支えられた、一種の利権として作られていたような仕事です。
それらの仕事がなくなっていくのと引き換えに、真に社会に貢献する仕事、新しい何かを創造する仕事が登場してきます。
工業製品の分野では、これから発展する途上国の人口のニーズに支えられて生産も引き続き活発でしょう。しかし、その生産の方法は既に先進国において試されてきたもののコピーにしか過ぎませんから、新興国の提供する工業製品が、未来の経済の中心になるわけではありません。
また、低い人件費によって競争力を持つ工業製品は、いずれロボットという、どんなに低い人件費よりも低い製造コストと維持費しか持たない生産手段に取って代わられていきます。
だから、これからの経済発展は、新興国の工業的な離陸にあるのではなく、先進国の文化産業の中にあります。
●文化産業を支える教育
工業生産においては、人件費は単なるコストですが、文化産業においては、人件費はコストではなく投資です。日本のこれからの産業は、人件費を投資として考えられるような人間を育てていくことで生まれてきます。
これまでの工業時代では、人間は一方では労働者であり、他方では消費者でした。これからの文化産業の時代には、人間は消費者であるとともに、一人ひとりが文化の生産者となります。
一人ひとりが生産者となることによって、消費の仕方もまた大きく変わってきます。人間が労働者兼消費者であった時代には、よりよいものをより安く買うことが消費の原則でした。
人間が生産者でありかつ消費者である時代には、消費の原則は、より個性的なものをできるだけ高く買ってあげるという形になります。ちょうど、学校の文化祭で、模擬店に出品されているものを参加者が互いに買い合うというときの発想に似た消費になるのです。
このような文化産業が発達するためには、社会の構成員の多くが創造性を発揮する能力を持っていなければなりません。そのためには、まだ長い年月がかかります。その文化産業が軌道に乗る前の時代に、創造性を育てる教育が一つの大きな産業になってくるのです。
●教育プラス観光が輸出産業に
日本がこれから世界に輸出していく産業は、高度な工業製品もありますし、ロボットによってコストを抑えた中程度の工業製品もあります。しかし、それ以上に日本が得意とする分野は、教育プラス観光という産業になります。
この観光もまた、単に京都や奈良という歴史的な名所や、富士山のような自然の名所だけでなく、その土地の個性を生かしたものになってきます。
例えば、言葉の森の教室のある横浜市港南区港南台は、鳥の街というコンセプトで作られています。団地の名前が、つぐみ、ひよどり、ひばり、せきれい、おおるりなどとなっていますし、街の中心部にあるショッピングセンターの名前がバーズです。
このコンセプトを生かして観光地化するとすれば、例えば、公園にクジャクやキジが放し飼いにされ、田んぼや池には白鳥や鶴が越冬する場所があり、どの家の軒先にもツバメが巣を作り、年に数回、鷹匠大会が開かれる、というような形で観光地としての個性を出すことが考えられます。
日本中のさまざまな地域が、その地域の特色を生かして観光地化するとともに、日本での教育を受けに、世界中の人が日本にやってくるというような未来が考えられるのです。