子供たちが書く作文は、学年によって大きな違いがあります。
小学校1年生は、まだ文章を書くこと自体に慣れていないので、「わ」と「は」の区別や、会話にかぎかっこをつけることや、文の終わりに「。」をつけることなどができません。
それは、当然です。普段の会話の中で、「こんにちは」の「は」の部分を「は」と言う人はいません。誰もが「わ」と言うので、文に書くときにも自然に、「こんにちわ」と書くのです。
同じく、会話のカギカッコや句読点も、会話の中には出てきません。だから、それはできなくてあたりまえなのです。
なぜ小1でこのような話し言葉と書き言葉の区別の問題が出てくるかというと、日本では小1で作文が書けるからなのです。
世界にはいろいろな言語がありますが、小1で作文が書ける言語というのは日本語だけだと思います。
日本語は一音と一語がほぼ同じように対応しています。欧米などの言語は、話し言葉から書き言葉の文字列を連想することはできません。だから、日本語では、小学校1年生で作文が書けてしまうのです。
ここで微妙な問題が起こってきます。
小1の作文の勉強の目標は、「楽しく書くこと」です。小1のころに作文を楽しく書いている子は、学年が上がっても作文に対する肯定的な印象が続くので、難しい課題になっても書き続けることができます。
だから、この時期の作文は特に、書いたことをそのまま認めてたくさん褒めてあげるといいのです。
ところが、「わたしわおとおさんとうみえいきました」などという文をそのまま褒めるということはなかなかできません。
かと言って、表記のミスに赤ペンを入れていちいと直していたのでは、すぐに書くことが嫌いになってしまいます。
小1の作文は、こういう問題が出てくるのです。
この問題の解決策は、書くことよりも読むことに力を入れることです。
なぜなら、書かれた文章には、「わ」と「は」の区別も、カギカッコも、句読点も、目に見える形で出てくるからです。
この読む練習が少ないまま、作文の書き方を直すと、何度同じことを注意しても直りません。カギカッコなどは何ヶ月言い続けても直りません。
だから、表記のミスがなかなか直らない子は、注意をするのではなく、読む力をつけることが先決なのです。
小1で、まだ表記のミスが多い生徒に、作文を書く練習を続けながら、読む力をつける方法が、幼児作文コースです。
それは、お母さんが子供と話をしながら構成図を書き、子供が絵をかき、お母さんが作文を書くという方法です。
子供は、親のやることを真似したがります。
親が読書をしている姿を見ている子は、自然に本好きになります。同じように、親が文章を書くのを見ている子は、自然に作文好きになります。
「本を読みなさい」とか「作文を書きなさい」とか強制するのではないのです。何も言わなくても、本を読んだり作文を書いたりしたくなるのです。
幼児作文コースでは、お母さん又はお父さんが書いた、親子合作の作文を見ているうちに、子供は自然に表記の仕方を頭に入れます。
正しい表記を何度も見ている子は、表記を直すときでも一度の注意ですぐに身につきます。
一度の注意で直らないときは、まだ読む量が少ないというだけなのです。
読む力が書く力の土台となっているというのは、小学1年生の時期だけではありません。
小6になると、作文の主題に抽象的な概念を盛り込むことが求められるようになります。難しい本を読んでいない子は、そういう語彙がありません。
中学生でも、高校生でも、その学年に必要が語彙のレベルは、常に読む力に引っ張られる形で書き言葉に現れてきます。だから、毎日の音読という自習が、作文の勉強の基礎になっているのです。