子供が中学生になると、親の手から離れるようになります。勉強面でも、生活面でも、親の指示を待つようなことはせずに、自分で判断してやるようになります。
しかし、自分でやるようになっても、自分で正しくできるとは限らないのです。
中学生を見ていて、よく思うのは、勉強に対する位置付けがないまま勉強をしている子が多いことです。
これまでの経験で、次のような例がありました。そのどの子も、真面目で素直で性格もよく勉強もそれなりによくできている子たちでした。
一人は、学校から出された宿題を、ほとんど答えを写してやったことにしていました。もう一人は、やはり学校の宿題をいつも友達のノートを写してやっていました。
また、facebookグループの「中学生の勉強相談室」でよくある質問が、「この答えを教えて」です(笑)。解き方や考え方を教えてではないのです。
これらに共通しているのは、すべて、人に見せるための勉強という考え方です。自分自身の向上のための勉強ではなく、先生や親に何か言われないように勉強の形だけ見せているのです。
しかし、こういう子供たちも、成長につれて自然に目覚めていきます。高校受験がある場合は、中学3年生になり受験が迫ってくると、誰に言われるでもなく、勉強の中身を考えるようになります。
しかし、受験がない場合は、形だけの勉強が中3以降も続くことがあります。
では、親はどうしたらよいのでしょうのか。
貝原益軒が81歳のときに著した教育論「和俗童子訓」では、「予(あらかじ)め」という考え方が中心になっています。問題が生まれてから対策を考えるのではなく、問題が生まれる前に対策を立てて実行しておくという考えです。
これは、中学生の勉強にもあてはまります。
中学生になる前、つまり小学生のまだ親の言うことをよく聞く時期に、親が指図して勉強をさせることだけに力を入れるのではなく、子供の自覚を促す勉強の仕方に力を入れるのです。
小中学生の勉強は、難しいと言ってもたかが知れています。特に小4までの勉強は、やれば誰でもできるようになる簡単な勉強です。この時期の勉強でよい点を取るようなことはどうでもいいことです。
だから、よい点を取ることに力を入れるのではなく、何のために勉強するのかという勉強に取り組む姿勢を伝えることに力を入れていくのです。
そのためには,例えばテストなどでも、点数を見るのではなく、その点数の中身を見ることです。
ひとつの例として言えば、次のようなことです。
子供がテストを見せて、「このテストの最後の方は、時間がないから適当に選んだら○になって百点になった」などと言ったとき(まれな例ですが)、親は、「それは、よかったね」などと言うのではなく、穏やかに次のように言うのです。
「勉強は、自分自身を向上させるためにやるのだから、時間がなかったりわからなかったりしたら、答えを適当に書かずに、ちゃんと×にしてもらうんだよ。悪い点数を取った方が自分のためになるんだからね」
こういう一言が、子供が中学生になったときに生きてくるのです。