学力と成績は、同じもののように思われるかもしれませんが、ここで言う学力とは学ぶ力のようなもので、まだ成績として表れているとは限らない潜在的な学力です。
学力の根本は、日本語の力によって養われます。というのも、人間は言葉によって物事を理解し、言葉によって考えるからです。
だから、言葉を豊富に駆使できる人は、理解する力も、思考する力もあるのです。
同じ物事を見る場合でも、言葉のストックが豊富にある人は、その物事をより高い解像度で見ています。言葉のストックが少ない人は、より低い解像度で見ています。
同じものが同じように見えるのですから、差があることはなかなか自覚できませんが、そこにはやはり差があります。
料理の味でも、舌の肥えた人とそうでない人との差があるように、言葉による理解も言葉の肥えた人とそうでない人の差があるのです。
言葉のストックを豊富にするものは読書です。
読書には質と量がありますが、まず量を確保することが先です。
本をたくさん読んでいれば、自然に語彙が豊富になり、その語彙を自分で自由に使えるようになります。
作文力の土台も、読書力です。
作文を作文の上だけで上手にすることはできません。
それは、根っこを育てないでいて、花だけを大きく咲かせようとするようなものです。
まず根っことなる読む力をつけることが基本なのです。
読む力がある子は、潜在的な学力を持っています。
成績を決めるのは、勉強の有無ですから、学力がある子が必ずしもその学力に比例して成績がいいわけではありません。
しかし、読む力があり、学力がある子は、いざ勉強が必要になり勉強に取り組むようになると、すぐに成績を上げることができるのです。
成績は、勉強の時間に比例します。
勉強の方法というのももちろん成績に影響しますが、もとになるのは勉強の量です。
特に、低学年のときほど、勉強の量はそのまま成績に表れます。
だから、成績のいい子は、よく勉強をしている子なのです。
成績は点数として表面に現れるので、誰でも関心を持ちます。
成績がよければ安心し、成績が悪ければ不安になります。
しかし、本当に関心を持たなければならないのは、学力の方です。
では、学力と成績は、どこで見るとよいのでしょうか。
学力と成績の違いは、漢字の力に表れます。
学力のある子は、漢字の読みがよくできます。その学年ではまだ習っていない漢字についても読みだけは知っているという子が多いのです。
しかし、漢字の読みがよくできる子が、漢字の書きがよくできるとは限りません。
漢字の書きは、書き取りの勉強量に比例します。
だから、成績は漢字の書きに表れると言っていいのです。
両方できるのが、もちろんいちばんいいのですが、大事なのは読む力の方です。
読む力のある子は、書く勉強を始めればすぐに書く力もついてきます。
しかし、その逆はありません。
だから、読む力は読書量によって独自に育てていく必要があるのです。