小学生のころの作文は、最初は生活作文から始まります。
自分の身の回りに起こった身近な出来事を文章で書いていくのです。
実は、これだけでも子供たちにとってはかなり大変です。
普段の生活で、言葉のやりとりは音声で行われていますが、それが文字のやりとりとして行われることはほとんどないからです。
特に、まだ本を自分で読めるようになったばかりの小学1、2年生の子にとってはそうです。
だから、大人が、できて当然と思っているような、「わ」と「は」の区別や、文の終わりに「。」をつける、などということが勉強のような形で教えられなければできないのです。
しかし、子供たちは、自分が文字を書けるということがうれしくてたまりません。だから、間違った書き方であっても、喜んでたくさん書こうとします。
小学2年生の時期は、この「長く書く」ことに燃える時期です。自分が作文を長く書けることがうれしいので、長さだけを目的にして書くことがあるのです。
しかし、やがて、小学3、4年生になり、文章を書く力がついてくると、長く書くことに対する情熱は自然に冷めてきます。
そして、その長さの代わりに出てくるのが、面白く書くという目標です。
この時期の子供たちは、面白いことが大好きです。いろいろな場面で笑って過ごしたい時期なのです。
そこで、作文にも、面白い場面、面白い出来事を書こうとします。それは、特に身近な大人である、学校の先生やお父さんやお母さんのドジな場面などです。
出来事の面白さを書くことに燃えるというのが、文章力がついてきた小学3、4年生の作文の主な関心事になるのです。
小学5、6年生になると、面白いことを書きたいという気持ちは変わりませんが、そこに考える力が加わってきます。
特に、読む文章が難しいものになってくると、自分でも自然にそういう文章に出てくる言葉を使って作文を書こうとするようになります。
今の中学入試問題の国語は、小学5、6年生が到底普通の生活の中では読まないであろうような文章が多数掲載されています。
物語文であれば屈折した心理の動き、説明文であれば言語や人生や文化や学問のような抽象的なテーマが盛り込まれた文章です。
この段階になると、作文力の差がはっきり出てきます。身近なテーマでは、どの子も上手に書けますが、考えるテーマになると、使える語彙の量がまず差になり、その語彙を使ってどう考えを組み立てるかということがまた大きな差になって現れてくるのです。
この考える作文が、このあと、中学生、高校生と続きます。
高校生になると、考えるテーマ自体に社会的な広がりが出てくるので、世の中の動きに対する知識の裏付けも必要になります。書くための材料も必要になってくるのです。
小学校のとき、楽しく作文を書き、それなりに上手に書けていた生徒が、中学生になったころからだんだん書けなくなるのは、この材料不足が主な原因です。
材料は、読書によって供給されます。本を読んでいる子は、語彙も、表現も、知識の材料も、読書から入ってくるので、作文を書くときも文章がスムーズに出てきます。だから、楽に書き出すことができます。
書き出す段階で苦労しているのは、本を読んでいない子と言ってもいいと思います。
今の中学生、高校生は、一般に本をあまり読みません。
理由を聞くと、勉強が忙しいから本を読んでいる暇がない、ということをよく言います。
しかし、本当の理由は、小学生の間に本を読む習慣を確実につけていなかったために、本を読む楽しさが身についていないのです。
本の好きな子は、受験勉強の真っ只中でも、息抜きのために本を読みます。将来、学力が伸びるのはこういう生徒なのです。
今、小4の娘が学校で、よく百マス作文に取り組んでいます。初めは長く書かない作文にかなり戸惑っていましたが、ここでいうなら、長く書くことが面白い時期を卒業し、面白く書こうとする時期に入っているのだなあと思います。
詰め込み型で語彙を覚えていくよりも、読書で身につけた語彙を上手に使えることが、後々の「考える力」につながっていくのだなと思いました。