国語力をつけるために、特別の問題集をやったり、新聞のコラムを要約させたりする必要はありません。
もっと簡単に、問題集の問題文を読ませて、それをもとに親子で対話をすればいいのです。
その際に大事なことは、親子でともに対話を楽しむことです。
その対話の文化を作るためには、子供がまだ小さいころから親子で、何かのテーマについて話し合う機会を作っておくといいのです。
作文の課題は、ちょうどその話し合うきっかけになります。
低学年のうちは、低学年らしい楽しい課題として実行課題集があります。
高学年になると、入試レベルの作文に対応した考える感想文課題が出てきます。
そのそれぞれの課題に合わせて、親子で話をする習慣を作っておくことが、国語力を育てる最も簡単で確実な方法なのです。
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「国語力をつけるための勉強としての要約と対話について」
https://www.mori7.com/index.php?e=1763
要約という勉強は、それはそれなりにいいのですが、難点は時間のかかることと、評価する人がいないとできないように思われていることです。
言葉の森では、以前から、解く勉強ではなく読む勉強、形の残る勉強ではなく形の残らない勉強ということを言っていますが、この場合も、それがあてはまります。
要約に時間がかかるのは、形の残る勉強だからです。形を残すことにこだわるから、内容がかえっておろそかになりやすいのです。
大事なことは、要約を書くことではなく、元の文章を読み取ることです。だから、読み取ったことがわかればいいのです。
その方法が対話です。
例えば、子供がある長文を読むとします。言葉の森の課題の長文は1600字程度のものが多いので数分で読めます。しかし、難しい内容のものは1回読んだだけではあまり理解できないので、何度も繰り返し読む必要があります。
文章というものは、もともと理解できるようにできています。その理解の仕方は、ひとつひとつの単語の意味を調べて積み上げるような分析的な方法によってではなく、文章全体を繰り返し読むという総合的な方法によってです。
文章の理解というものは、○と×がつけられるような平面的なものではありません。浅い理解から深い理解へと何層にも分けられるような性質のものです。繰り返し読むことによって、最初はわからなかったことがだんだんわかるようになるという読み方ができるのです。
そして、その文章を読んで自分なりに理解できた範囲で、子供がその内容をお父さんやお母さんに説明します。これが対話の出発点です。
お父さんやお母さんは、元の長文を読んでいる必要はありません(読んでいてももちろんいいのですが)。ただ、子供の説明を聞いて、その内容がわかればいいのです。
もし、説明がわかりにくければ、質問をすればいいだけです。文章の内容を自分なりに理解している子なら、そういう質問にもそれなりに答えられます。
ここから更に発展して、お父さんやお母さんが、その説明に関連した似た例を話したり、互いに感想を述べ合ったりすれば、文章の理解はより深まります。
対話は、要約に比べると形の残らない勉強です。しかし、準備も要らなければ評価も要りません。ただ家族で楽しく話をするだけで、要約よりももっと深い文章理解の勉強ができるのです。
しかし、この対話という勉強法は、それなりの工夫も必要です。それは、家庭における対話の文化を作っておくという工夫です。
多くの家庭では、子供が親に長文の内容を説明して、それをもとに楽しい対話が始まるというような経験をしていません。子供もそういう話をすることに慣れていないし、親もそういう話を聞くことに慣れていません。
だから、最初は、子供に長文の内容を説明させても、ぽつりぽつりとしか話せません。親も、それを聞いているうちにいらだって、説明の仕方を注意するようになりがちです。それでは、楽しい対話ではなく、厳しい詰問になってしまいます。
また、親が似た例を話すときも、本当は自分の体験に根ざしたことを話すのが大事なのですが、親の体面上知っている知識を話すだけになってしまうことも多いのです。そうすると、これも楽しい対話ではなく、つまらない講義を聞いているような話になってしまいます。
では、楽しい対話をするためには、どうしたらいいのでしょうか。
それは、子供が小学校低学年のまだ小さいころから、家族で楽しく真面目な話をする機会を作っておくことです。高学年になって難しい長文を読めるようになってからの対話では、うまく行かないことも多いのです。
対話の第一の条件は、親が一切注意をしないということです。これは、作文にも、音読にも、暗唱にも共通します。
よく子供が作文を見せてくれないという相談がありますが、それは作文を見て注意したことが何度かあったからです。同じように、音読を親の前でするのを嫌がるというのも、その音読の仕方を何度か注意したことがあったからです。子供が、親の前で長文の説明をするのを嫌がるとしたら、それは説明の仕方を注意したことがあったからです。
言葉というものは、外から注意しなくても、繰り返すうちに自然によくなっていく性質があります。お父さんやお母さんが、今普通に文章を書いたり、読んだり、説明したりできるのは、だれかに注意されてできるようになったのではありません。長年、言葉の生活をする中で自然に身につけていったのです。
だから、子供の作文や音読や説明も、自然に任せていれば自然にいいものになっていきます。
それでは、なぜそれらの勉強をするかというと、機会を増やすことによってよりよいものになるからです。そして、機会を増やすためには、楽しく行うことが大事です。楽しく行うためには、小学校低学年(実はもっと小さい幼児)から、子供が文章を書いたり読んだり話したりすることを褒めて伸ばしてあげる必要があるのです。
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特別なことをしなくても、家庭での楽しい会話が作文のヒントになっているのだなあと感じることがよくあります。講師もお子さんと楽しい対話を心がけ、作文のヒントを引き出していますが、やはりおうちでの対話に勝るものはないですね。
特別なことをしなくても、家庭での楽しい会話が作文のヒントになっているのだなあと感じることがよくあります。講師もお子さんと楽しい対話を心がけ、作文のヒントを引き出していますが、やはりおうちでの対話に勝るものはないですね。