先日、人生百年時代に関する記事を書きました。
人間が普通に100歳まで生きるような社会になると、既に破綻しかけている年金制度は確実に破綻します(笑)。(笑い事ではありませんが)
定年は、今の60歳や65歳ではなく、80歳や90歳にしなければなりません。
そのときに、その人の行っている仕事がITの分野だったらどうなるでしょう。
IT技術の進歩に応じて、新しい知識や技能を毎年のように身につけなければなりません。
若いときに苦労して身につけた技術が陳腐化して、全く役に立たなくなるという場合もあるでしょう。
技術進歩の早い分野の仕事は、若い人が担うもので、ある程度の年齢になったら、技術の進歩に影響される仕事からは少しずつ手を引いていくのがいいのです。
では、技術の進歩が遅い仕事、あるいはない仕事というのはあるのでしょうか。
それがあるのです。
その典型的な分野が教育や芸術や宗教です。
しかも、それらの分野は、技術の進歩に無理してついていく必要がないばかりでなく、その仕事に携わる年数に応じて日々習熟していくのです。
特に教育の分野については、経験年数の効果は大きくなります。
子育ては、一人目が最も苦労しますが、二人目はかなり楽になります。三人目、四人目、五人目、六人目となれば(おそ松くんの一家のようですが)、最後の六人目の子供は目をつぶっていてもうまく子育てができるようになるでしょう。
そして、この経験年数の効果とともに大きいのが、教育の仕事は自分をふりかえることで進歩するという面があることです。
人が20代のころに、「小さいとき、もっとああいうことをしていればよかった」と思うことと、その人が40代のころに思うことと、60代のころに思うことは、かなり違ってきます。
貝原益軒は、「和俗童子訓」という教育論を80代で書きました。
ルソーは、「エミール」を40代で書きました。
どちらの教育論があてになるかといえば、80代の知恵で裏打ちされたものの方だと思う人が多いでしょう。(ルソーファンのみなさん、ごめんなさい(笑))
教育の仕事の進歩は、タブレット授業の仕方やデジタル黒板の使い方を身につけるようなところでなされるのではありません。
自分の過去をふりかえり、それを今いる子供たちに重ね合わせることによってなされるのです。
年をとって、経験年数を重ねるほど技術が進歩していくというのが、教育の仕事の特徴です。
それは、芸術や宗教にもあてはまりますが、世の中に新しい価値を創造する力は主に教育が担っています。
これからの長寿社会の進展を考えた場合、教育の仕事というのは、最も可能性のある仕事の分野になるのです。
しかし、それはもちろん、今の受験教育のような教育ではありません。
受験教育と少子化の進展という面から見れば、教育は先行きの展望のない仕事のように見えます。
しかし、創造教育という面から見れば、少子化はむしろ充実した教育の土台であり、新しい未来の仕事の可能性を最も持っている分野だと言えるのです。
言葉の森では、今、森林プロジェクトによる作文講師資格講座を開いています。
これは、作文教育を中心に、自主学習教育、思考発表教育、自然合宿教育などをオンラインネットワークを利用しながら進めていくものです。
オンラインを利用した教育と言っても、特に難しい技術的な習得が必要なわけではありません。
スマホやSNSに慣れるように、オンラインに慣れることで身につくものです。
人生百年時代の長寿社会に向けて、未来の仕事を、新しい教育の分野で作っていきましょう。
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