これからの文化とは、ある意味で教育の文化です。
文化の中には、観光のような文化もあります。観光は、新しい経験を得られるという魅力を持っています。しかし、観光がどんなに好きでも、それを生かして自分が供給の側に回ることはなかなかできません。
これに対して、新しい何かを修得するということは、修得自体に魅力があるとともに、それを生かしてやがて自分が供給の側に回ることができるという魅力があります。
したがって、教育文化の教育とは、机上の知的な教育というよりも、むしろ全人的な修行のような教育になります。
こういう新しい仕事を作っていく個性がこれから求められてくるのです。
日本の社会にこういう教育文化の流れを作っていく方法は簡単です。
最初の呼び水を作るために、金融緩和を直接国民に回せばいいのです。
例えば、国民1人について年間百万円、自分の教育や修行のために使う費用を渡すようにすれば、各人はそれぞれの個性に応じて教育文化の消費を始めるでしょう。
すると、その分だけ、その教育文化を供給するための仕事が生まれます。
最初のうちは、その教育文化はポピュラーなものに限られているでしょう。英会話とか書道とか絵画とか音楽とかいったものです。
しかし、消費と生産が回り始めると、そこからだんだん個性的なものが生まれてきます。英語よりもアジアやアフリカの少数民族の言語とか、同じ書道でも特異な個性を持った流派の書道とか、あるいは新しい材料を使った絵画、新しい楽器を使った音楽などです。
これまでは、教育文化に対する消費は、娯楽費や教養費と呼ばれる単なる消費でした。
しかし、教育文化に対する消費が長期間継続的に大量に続く見込みがあれば、その消費は、その文化を習得して自分もやがて供給する側に回るという投資になります。
いったんその流れができて文化として成立すれば、もう外からの金融緩和という資金の注入は必要なくなります。
例えば、ゴルフやサッカーや野球やバレエやピアノやバイオリンや茶道や囲碁や将棋は、既に文化として成立しているので、外部からの資金援助がなくてもそれ自体で需要と供給の回転が成り立っています。
しかし、何もないところに、一からゴルフやサッカーを作ろうとすれば、その困難さは容易に想像できます。
文化というものは、そういうものなのです。
衣食住のような基本的なものは、自然発生的に需要と供給が始まります。そういう自然な需要の延長上に、今までの工業生産がありました。
しかし、衣食住とその延長にある工業生産物は、既に人類の供給力が人類全体の需要力を上回るようになりつつあります。それは、必需品の消費は、必需品であるがゆえの上限があるからです。
文化の消費はそうではありません。必需品でないために、需要と供給は文化的に創造しなければならない代わりに、その上限もありません。
いったん文化として成立すれば、その需要はいくらでも個性化し、いくらでも高度化していくのです。
今、日本経済を論じる人の多くは、少子化と高齢化が日本の経済発展の限界を作っていると考えています。
だから、日本に移民の受け入れが必要だという発想をしたり、人口の多い中国やインドがこれからの世界をリードするという発想をしたりしてしまうのです。
これは、これまでの経済学が主な対象にしていた必需品のレベルで経済を考えているためです。
教育文化のレベルで経済を考えれば、少子化も高齢化も何の障害にもなりません。文化の消費の上限は、量が決めるのではなく質が決めるからです。
必需品だけに関心のある人がどれだけ大勢いても、文化の経済は発展しません。逆に、文化の個性に関心を持つ人が増えれば、文化の経済は発展します。
すると、もはや人間の関心は、経済の問題ではなくなってきます。
これから起きる経済危機は、このような新しい社会に移行するための一時的な生みの苦しみにすぎないとも言えるのです。
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日本経済の停滞の原因を少子化と高齢化によると考える人は、経済というものを必需品のレベルでしか見ていません。
必需品であれば、人口が若くと多くて貧しいほど経済は発展します。
だから、日本にも移民を入れることが必要だと説いたり、中国やインドのような人口大国が次の世界をリードすると考えたりするのです。
しかし、これからの経済は文化の経済です。
文化にとって必要なのは、量よりも質、若さよりも年季、貧しさよりも豊かさです。
だから、日本の少子化と高齢化は、これからの経済発展のむしろ要となるのです。
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食料が確保できたあとで、力を入れるのは、新しい仕事作りです。
それは、なぜ経済危機が生まれたかというと、その根本的な理由として、先進国が新しい仕事つまり新しい需要を生み出していなかったという事情があったからです。
だから、各国がどれだけ金融緩和をしても、経済は上向きにならなかったのです。
従来の家電製品や自動車や住宅の需要は、途上国ではまだ不足していますが、先進国の経済を牽引するものではなくなっています。
供給の方は技術革新と新興国の参加によって掛け算で増えているのに対し、需要の方は人口増という足し算でしか増えていないので、供給過剰の不況が生まれているのです。
従来の新しい仕事というものは、主に製造業でした。だから、大きな資本と大きな組織と大きな市場が必要でした。
しかし、製造業の生産物がひととおり普及すると、消費は頭打ちになります。テレビや自動車は、一家に何台も必要ないからです。
これから生まれる新しい仕事は、主に文化産業です。文化の消費は個性的で、しかも上限がありません。
そして、消費の個性に対応して、文化産業は生産も個性的で、しかも大規模な設備も組織も必要としません。
これまで、この文化産業が発達しなかったのは、インターネットが登場するまでは、個性的な消費と個性的な生産が出合う場が限られていたからです。
インターネットの特徴は、消費のロングテールがつかめるように、生産のロングテールもつかめることです。
つまり、生産の個性と消費の個性が出合うことが、インターネットによって可能になったのです。
日本生産性本部がまとめた「労働生産性の国際比較2015年版」によると、日本の労働生産性はOECD加盟34カ国で21位だったそうです。
日本では、要らなくなった仕事を、多数の人員がワークシェアリングしているような状態が生まれています。
それはまだ、供給が過剰になった仕事から人が去り、新しい生産に向かうような仕組みができていないからです。
これから生まれる仕事は、魅力的な文化を提供する仕事です。
それが魅力的なのは、その文化を需要することによって、やがて自分もその文化の供給者になれるという面があるからです。
これが、製造業との大きな違いです。自動車がどんなに好きでも、自動車の生産者になることはなかなかできません。
しかし、文化は、好きなものであれば、やがて自分もその文化を供給する側に回ることができるのです。
(つづく)
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これからやってくると言われている経済危機に、個人がそれぞれ個別に対応していたのでは、無駄が多すぎます。
日本人の特性は、助け合いの精神を持っていることですから、それぞれの地域での協力によって対処していく必要があります。
しかし、持っている人と持っていない人が、必要な物を共有するというのは、まだすぐには難しいところがあります。
持っている人がどれだけ物を供出し、それをそれぞれの人がどれだけ利用したかという、集計システムを作っておけば共有はできなくはありませんが、それだけの準備をするのがまた大変です。
だから、ないものを分け合うような助け合いではなく、新しいものを作り出しみんながプラスになるような助け合いをやっていく必要があります。
最初に困るのは、都会では日々の食料です。
田舎では、その地域で食料が生産されていますが、都会では食料は流通によって支えられています。
だから、流通が止まれば、又は、流通を媒介するお金がなければ、都会では食料が手に入らなくなります。
流通に頼らない食料供給というのは、地域で食料を生産することです。
具体的には、すべての公園をサツマイモ畑にすることです。
なぜサツマイモかというと、サツマイモはそれだけで人間に必要な栄養素のほとんど含まれている完全食品で、しかもどこでも栽培できるものだからです。
空き地も植えこみも駐車場も、土地として利用できるところはすべてサツマイモ畑にすれば、その地域の食料のほとんどは賄うことができます。
サツマイモが収穫されるまでの半年ぐらいの期間は、それぞれの家庭で備蓄しているもので耐えていけます。
食料さえ確保できれば、あとは余裕ができるので、みんなで知恵を出し合ってよりよい生活作りの工夫をしていけます。
昔の人は、飢饉に備えて、村落の周辺に食べられる草や、実のなる木を植えていました。
同じように、これからは公園に、もっとカキやクリなどの樹木を植えていく必要があります。
また、公園にニワトリやウズラを放し飼いにしておけば、いつでも新鮮な卵を手に入れることができます。
最近、食事の量を、1日3食ではなく2食や1食にする人が増えてきました。
そういう人たちが異口同音に言うのは、食事の量を少なくした方が健康によいということです。
少食の価値を日本で最初に明らかにしたのは、江戸時代の水野南北です。
食事のような生活習慣は、よほどのことがない限り変えられないので、食料不足はかえってよい機会になります。
少なくとも、多少食料が少なくなっても、人間は生きていけるのだという気持ちを持てば、相互の助け合いにも余裕が出てきます。
(つづく)
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