水滴
5月の森リン大賞の続きです。
ワードの仕様のせいだと思いますが、段落の1マスが消えている人が多かったので追加しておきました。
ワードは、もともとアメリカの製品なので、既定値では日本語の対応が不十分です。
次のように、設定を変えることができます。
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【Word】段落の先頭に字下げを設定する
https://www.anadigilife.com/word-indent-1/
●中学1年生の課題の部
人間の学習能力 あおはす 91点
生物界の中でヒトという種を特徴づけてみると、優れた学習能力がほぼ一生にわたって維持される、ということが第一に挙げられるであろう。例えば、クジラやライオンのような大型哺乳類について言えば、クジラは水中生活に便利なように体系が変化しており、ライオンやトラは、筋肉が発達し、敏捷で、しかも鋭い牙や爪を備えている。したがって、ある環境の条件下では餌を手に入れ、種族を維持していくことが容易である。半面、これらの大型哺乳類は、限られた環境下においてのみ繁栄しうる。クジラはもはや陸上で生活をすることは出来ないし、ライオンやトラは比較的大きな草食獣が手に入らなくなったらおしまいである。さらにまた、生まれつきの行動の仕組みが比較的少なく、加えて雑食性であることから、様々な環境に適応しうる。ヒトは他の類人猿と比べてさえ、生まれつきの行動の仕組みが少ない。このために、チンパンジーの子供とヒトの子供と双生児のように育ててみると、初めの数か月は、むしろヒトの子供の方が知的に劣っているという印象を与えるほどなのである。私は、次のような理由から学習は大切だと考える。
第一に、人間は学習しないと成長しないからだ。身近なことでも学習はある。例えば「遊び」。勉強は全くせず、放課後宿題をせずに遊びに行っている少年がいるとするだろう。例えば、学習に対しての一日目、夢中になり日が暮れた後も遊び、真っ暗な道に迷いながら家にたどり着いたとするだろう。まだ、ここでは遊びはないがこのことをきっかけに学習するのだ。きっと二日目では昨日の事を生かし早めに帰り、無事に家にたどり着くだろう。遠く離れた町に遊びに行き、少ししか遊べず困ったら、きっと次からは休日に行くだろう。このように、たとえどんなことでも身近なことにも学習はある。失敗しても、学習をしなければ治らない。それが人間なのだ。
第二に、人間は幼いうちから学習する事により一生の知恵となり将来役立つからだ。学習とは、知識、行動、スキル、価値観、選考を、新しく獲得したり、修正したりすることである。習得することにより、一生の知恵となる。第一の理由に例として挙げた遊びに行く少年の場合も、幼いうちから学習したことによりきっと、将来役立つ。もし、社会人となりこのようなことが起こったら、会社の同僚や上司に迷惑を掛け、とんでもないことになってしまう。幼いうちに学んだことにより、例えば、社会人となり平日友人から少し離れた町へ遊びに行こうと誘われたとしても、時間を決めたり断ったりして翌日困らない。また、学習してきた大人として来ていない大人を比べても学習した大人の方が働けるし、信頼されると私は考える。
確かに、学習をしなくても人間はなんとか、生きていけるが、「人は、食べるために生きるのではなく生きるために食べるのである」という名言があるように人間が生まれながらの応力を発揮し、生きて行くべきだ。私は、以上の理由から学習は大切だと考える。
●中学2年生の課題の部
機械化を見直す ヨーヨ 90点
今はとても便利で文明が発達してきている。しかし、よく考えてみれば、生活の必需品とは大きく離れた別に必要ではないものであふれている。また、それらがない方が自分が生きているということをしみじみ感じるかもしれない。これは日本の伝統と今を比較することでよりわかりやすくなる。これでいかに自分たちが余計な物で生そのものを見えなくしているかがわかるのである。
便利で快適な生活は良い。最新の技術であれば、いろいろな物をsiriやOKグーグルといったアプリ一つあれば登録された電気やスマホなどが遠隔で操作することが可能になる。また、人の体温や、少しの水分と電気を感知して便利に利用できるという物もある。こうすることで、電気の節約に加えてイヤホンであれば、外せば止まるといった機能が拡張していくことが可能になり、どんどん進化していく。また、車も今までの事故データなどから安全性が高くなった自動ストップやその他の機能、そして今では自動運転の方が人が運転するより車庫入れ、事故が少なくなっていっている。人はあらゆる情報や技術が完全に備わっているというわけではない。また、一度体験してみなければ忘れてしまうこともある。しかし、今のAIの技術では覚えることは百パーセント覚えることができ、他の人の体験から一人の人間では到底できない情報、論文を元に物を造り出すことが可能である。すなわち、今注目をされるとともに、便利だと言われることや物というのは人の欠点をカバーすることによるいわば人が望む完全な形に近づいた物なのだ。
しかし、機械化されていないシンプルな生活も良い。確かにどんどん機能が拡張し、便利になったと思われる一面、機能が多すぎてわかりにくくなるという欠点がある。日本の製品は質がよいものの、機能が多すぎてたとえ言語がわからなかったとしてもスイッチが一つ二つありさえすれば杉に使いこなすことができる中国製にくらべて少し国際化しにくい物にどんどん進んでしまう。また、機能が多いことによってお年寄りが使うのに抵抗が生まれる。最近急速に出てきたアプリやユーザー補助機能、メールはよくわからないと聞かれることがある。これからはどんどん若い人が少なくなっていくと言われている。それなのに、どんどんと機能重視で生活しにくく、外国にもわかりにくい日本語のうえに多機能というのはこれから危ういのではないか。そのため、重要な物はシンプルな物に戻すことでお年寄りや外国人に優しい国作りもできるのではないか。その証拠に、ドンキホーテでは自社製品を売っており、それは同じ商品で他のメーカーよりやすい物がほとんどである。これは無駄で使わないような機能を省くことでいかに経費削減ができるか考えていることによって生み出していると聞いたことがある。例えばテレビでも少し明るさ、最大音量を下げた物にすることによる最大二分の一のコストカットに成功していることなどだ。また、機械化によって人の仕事がどんどんとられていっている。単純な部品の貼り付けに加えて、箱に入れる、食品の管理に薬の調合、手術など今までプロが考えつつやっていた作業、高度な技術までが機械でできている。本来、人が人の大切な命を救ったり、人の役に立っていた物が技術によって操作するといった物が技術によって操作するといった軽い感覚となってしまうのではないか。そのうち、今ある仕事が奪わたとして、ミスが起これば責任は誰がとるのかといったことになる。それに加えて計算力や能力が低迷するのではないか。すべてを任せたとき、もうその技術は使わなくなっている。そのことで日頃使わずになまってしまう。これは運動も同じで、しなくなると太ったりストレス解消になっていたものの、しないとストレスの原因になってしまう。すなわち、人が多くの技術を生み出していくにつれてそれまでのことがすべて消され、最新の世代の当たり前が風潮になり、それにそれれば不思議に思われる。僕は魚を解剖したことがあるが、それは決してきれいな物ではなく、それぞれの器官が備わっていた。ところが、骨や頭、臓器というのはとるのが大変で食べることもできない。こういうことから品種改良でそれがないものを作ろうとし、もう次の世代には魚は骨のない生物だと思われてしまうのである。
確かに便利で快適なことも、シンプルな生活にもそれぞれ良さがある。しかし、本来の人のあり方や技術は消え、誰しもが使えるということになったり、それぞれの特技も少なくなる。機械化することで仕事も変化、消されていく。これに加えて、「現代人のモラルが恐ろしく荒廃している原因は、生活が機械化して人間性が失っているからだと思います。それは科学技術の悲惨な副産物です」とアインシュタインが言っているように、機械化しないと本当に行けないのか、そのリスクを含めて取捨選択していく必要があるのではないか。そのために、自分は人として生かせること、能力を見つけ、実際に取り組んでいきたい。
キョウチクトウ
5月の森リン大賞が決まりました。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2023&tuki=05
代表的な作品をいくつか紹介します。
読みやすくするために、作品は、段落の間を1行空けています。
また、ワードの仕様で段落のマスが消えているものは追加しています。
点数は、森リンの総合点です。
総合点は、語彙の広さ、語彙の高さ、語彙の深さ、語彙間のバランスで決められています。
語彙の広さは表現語彙、語彙の高さは思考語彙、語彙の深さは知識語彙と呼んでいます。(2013年特許第4584158号)
(総合点91点のそれぞれの語彙の表示)
森リン大賞は、それぞれの学年課題の点数が上位の作品から選んでいます。
大体が1位の作品ですが、内容の評価も加味して2位以下の作品が選ばれている場合もあります。
▽参考記事
森リン点の解説(1)――高得点の作文はどのようにして書くか
https://www.mori7.com/as/4526.html
7月から、作文用紙と封筒用紙を廃止しましたので、今後、高学年の生徒の森リン点への参加が増えると思います。
毎日の森リン点は、
ランキングのページの
森リンランキングに表示されています。
●小学5年生の課題の部
機械と人間 きょうすけ 79点
人間を科学的に知ろうとすると、えてして人間を、機械のように考えようとする傾向がある。人間は機械と同じなのだろうか。人間は複雑な機械にすぎないのだろうか。変わってゆくのが人間だが、それは、ただ変わるのではなくて、進歩し、高等になってゆくのだと筆者は述べている。
ぼくにも似た話がある。ソフトボールの自主練習で、シャトルを打つ練習をしていた。いつもはお兄ちゃんが、シャトルを投げてくれるけれど、今日はお兄ちゃんがいないから、シャトルマシンで練習する。
「ウィーン。ポン。」
と、シャトルが出てくるときに音がする。ぼくは、そのシャトルを打とうと思ったが、
「ヒュー。」
と、風に流されて、まるでカーブのように全く違う方向に飛んで行ってしまった。ぼくは、お兄ちゃんが投げてくれたら、風の強さを考えて、いいところに投げてくれるのになと、不満に思った。他にもある。たまに、つまって出てこなくなったり、二つ一気に出てきたりする。それから、マシン付近に、シャトルが落ちたりもする。お兄ちゃんだったら、テンポよく投げてくれるし、そんなに的が外れたシャトルは来ないのになと、少し落ち込んだ。シャトルマシンには、一人でできるという長所があるけれど、そのぶん、コントロールや、テンポのところなどのところが劣っているということに気付いた。ぼくは、人間は時と場合によって行動を変えられるけれど、機械は、プログラムされたことしかできないから、やっぱり人間の方がいいなと思った。
もう一つ似た話がある。NHKで、ニュースを見ていた時の話だ。ぼくは、そんなにニュースに対して、気にしていなかったが、アナウンサーが、
「ここからは、AIがお送りします。」
と、言ったので、ぼくは、
「えぇー。」
と、テレビの方を見た。すると、テレビの右上に、「AI自動音声でお送りしています。」と、書いてあった。実際に声を聞いてみると、人間がしゃべっているより、テンポが良くて、つまったり、かんだりしないけれど、ぼく自身は、少し気持ち悪いと思った。なぜかというと、少しも間違えたりしないし、同じ高さの声で呼んでいるからだ。また、プログラムされたことしか言えないから、地震速報などの早く知らなければいけない情報が伝わらないからだ。ぼくは、失敗するところがあっても、やっぱり人間の方がいいなと思った。
この話を読んで、ぼくは、機械は人間よりすごい面がいっぱいあるけれど、その機械を作ったのは人間で、プログラムしたりするのも人間だから、人間はすごいと分かった。ぼくは、決して機械に頼ることなく、自分の意志を持って生活することが大切だと思った。
●小学6年生の課題の部
日本語の国際化 ポッポ 83点
今、私たちは日本語を日常生活で特に苦も無く使っているが、実は2017年アメリカ合衆国国務省によって英語を母語とする人にとっては日本語は世界一難しい言語だと認定されたのだ。外国人からはまるで悪魔の言語のように難解なのでデビル言語とも呼ばれたりするそうだ。そこで、普段日本語の難しさを意識することはあまりない私だけれど、外国人の視点から日本語の難しさを紐解いてみたいと思う。
まず一つ目は教科書などで習う文法が無視されていることだ。例えば「Do you want some cookies?」を直訳すると「あなたはいくらかのクッキーが欲しいですか?」となる。しかしそのように言われたら思わず身構えてしまうし日常生活では「クッキーいる?」などと聞く。私たちにとってはそれが普通に聞こえるけれど一生懸命に文法を勉強してきた外国人がそれを聞いたら今までの文法がことごとく無視されていて愕然とするだろう。二つ目は一人称が多すぎることだ。私が知っているだけでも10種類くらいはあるのに、英語では「I」「me」くらいなのだ。きっとどの一人称を使えばいいのか混乱するだろう。私は今まで「うち」だったり一時期「ぼく」と呼んでいた。しかし最近一年後には中学生にもなるのにそれは恥ずかしいと思って「私」に直し始めた。すると友達に「え、かずはどうした?なんかあった?」と心配をされた(笑)。このことから日本人は一人称によって自分のキャラを演出していると分かった気がした。
先日、岡倉天心美術館で彼の人生を顧みる機会があった。岡倉天心といえば、明治時代の初期、西欧文化が推進される真っ只中で日本画・日本文化の復興を試みた人物だ。ボストン美術館の館長にまでなり得たのは彼の持つ英語の堪能さも理由の一つであろう。頭の中で、まず英語で簡潔に捉え、日本語に訳し、さらに英語で執筆することが得意中の得意だったという。今でも海外に於いて日本文化を捉える本として有名な「茶の本 the book of tea 」を執筆した彼は、アートを通し、日本語が国際普及の言語となるよう指導者足らんとしてくれたのではないだろうか。私たち日本人は、岡倉天心とまではいかなくとも、日本語の神髄を学びつつ海外の視点も取り入れて、誇り高くシンプルに世界に言語を発信してゆく必要がある。
言葉とは人間にとってより自分を細かく表現するための道具である。なので自分の意志が日本人には伝わったとしても外国人に伝わらないのでは言葉が存在する意味がない。しかし日本語は世界で一番習得するのに困難な言語である。その理由の一つとして日本語がややこしく複雑であることがあげられる。より国際普及の日本語にするには「大の虫を生かして小の虫を殺す」という諺があるように外国人がより習得しやすいように不要な部分を切り捨ててさっぱりさせる必要がある。それは日本古来の華麗な表現を放棄するのではなく、あくまで文法を整理する必要があるということだ。