言葉の森のサマーキャンプ
確認テストの取り組みについて、7月から次のようにします。
- 国語読解、算数数学、英語を受講している小5以上の生徒は、毎月必ず確認テストに取り組んでください。
確認テストで、実力と弱点がわかるので、今後の学習と指導に生かせます。
- 取り組む教科は、自分の受講している講座の教科です。
国語読解クラスの生徒は国語の教科、算数数学クラスの生徒は算数数学の教科、英語クラスの生徒は英語の教科です。
総合学力クラスの生徒は、国語と算数の両方の教科に取り組むことができます。
- 自分の学年の問題に取り組むのが基本ですが、苦手な人は前の学年で、得意な人は後の学年で取り組むようにしてもいいです。
その場合、使う問題集もその学年に合わせて勉強してください。
- 解答は、できるだけテキスト入力で送信してください。
小5以上の生徒は、できるだけ自分で入力して送信してください。
小4以下の生徒は、自分で入力してもいいですが、保護者の方に入力してもらってもいいです。
- テキスト入力が難しい場合は、確認テストのページから画像でアップロードすることもできます。
- 小4以下の生徒の確認テストの取り組みは任意とします。
したがって、総合学力クラスの確認テストも任意です。
小4までは特に難しい問題はないからです。
ただし、自分の実力を知るためには、できるだけ取り組んでいくといいです。
- 解答の送信は2回までとします。
難問は何度解いてもできないので、2回目の解答で点数確定とします。
- 確認テストの採点は、事務局で行います。
- 点数が確定すると、正解が見られるようになります。
- 正解を見ても、正解の理由が理解できない場合は、確認テストの掲示板で質問をしてください。
https://www.mori7.com/ope/index.php?k=kt
- 採点が100点になっていない場合は、オンラインクラス一覧表の生徒の学年の横に!マークが付きます。
- オンラインクラス一覧表の生徒の学年をクリックすると、自分の確認テストのページに飛びます。
100点になっていない人は、採点された答案の▲印のところを再度解き直して送信してください。
- 国語読解、算数数学、英語、総合学力の各クラスの生徒は、それぞれの教科の確認テストは無料です。
それらのクラス以外の生徒が確認テストを受ける場合、又は受講している教科以外の確認テストを受ける場合は、有料で、1教科1回550円となります。
- 中学生は、今後、理科と社会の確認テストも受けられるようにします。
中学生の理科と社会の問題集は、教材注文のページから購入することができます。
https://www.mori7.com/teraon/jgkyouzai.php
- なお、確認テストの結果を見ると、生徒の大体の実力がわかるようになったので、今後、全国学力テストの取り組みは廃止します。
全国レベルの実力を知りたい場合は、「小学生 模試」「中学生 模試」「高校生 模試」などと検索して、それぞれの模試に参加してください。
7月からの新しい取り組み方は、以上のとおりです。
さて、これまでの確認テストの結果を見ての感想です。
生徒のみなさんの解答件数は、現在約のべ300件です(6/30現在)。
6月から本格的に確認テストを始めましたが、すでに国語読解、算数数学、英語のクラスのほとんどの生徒が確認テストを受けたと思います。
難しかった問題は、小4~高3の国語、中1~中3の数学、中1~中3の英語でした。
最初から100点になった人は、ほとんどいませんでした。
また、中学生の数学、英語は、まだ学校でその単元を習っていないからできないという人もいました。
問題集は、自分で先に進めるので、学校の進度とは関係なく先の勉強をするようにしてください。
個人的なことですが、中根が担当しているクラスの中学生の生徒に、学校の定期テストの国語、数学、英語、理科、社会の結果を聞くと、大体平均80点以上でした。
中学生の勉強は、まだ本格的に難しいことはないので、点数は、勉強時間に比例しています。頭のよさとは、関係がありません。
定期テストの点数が80点以上にならなかった人は、毎日の勉強時間を確保するようにしてください。
そのために、今度、新しく自習記録のページを作りました。
https://www.mori7.com/teraon/js.php
これは、自宅で自分ひとりで勉強していると張り合いがないというときに、利用できる自習室のページです。
カメラオフで参加できるので、勉強のきっかけをつかむために、自習室を利用するいといいと思います。
毎日、何時間でも、何回でも、無料で利用できます。
自習室は、オンラインクラス一覧表の「自習記録」というところから行けます。
言葉の森の生徒であれば、どなたでも利用できますから、ぜひ、活用してください。
トウガラシ
これまでの森リン大賞は、森リンが採点した点数の1位の作品をそのまま表示していました。
その際、感想文の要約の部分が残っていると、森リン点の点数が上がるので、要約の多い作品は、森リン大賞の代表作品から除外していました。
しかし、3月に再開した森リン大賞からは、森リンの採点をもとに人間が内容の評価も加味することにしました。
それは、森リンは、作文の語彙力とそのバランスを評価するだけで、作文に書かれている内容を評価することはできないからです。
したがって、作品に要約の部分が残っていても、それ以外の文章で内容的にも優れているものは、森リン大賞として選ぶことにしました。
実際には、森リン点の1位の人が、そのまま代表作品として選ばれている場合がほとんどですが、中には、人間の評価を加えることによって、2位や3位の作品が代表作品となっている場合もあります。
今回の中学3年生、高校生の作品は、それぞれ森リン点でも1位の作品です。
https://www.mori7.com/oka/moririn_seisyo.php?nenn=2023&tuki=05
●中学3年生の課題の部
花が満開になるまで あうそな 87点
「必要」という言葉の表現として英語には「ニーズ」と「ウォント」がある。「ニーズ」は理性による判断から生まれるもの であるのに対し、「ウォント」は内なる欲望から生まれるものである。 新しい物を生み出す、創造するためには、飛躍というものが 必要であり、この飛躍の原動力が 「ウォント」 である。私は「必要だからする」というのではなく、「したいからする」という内なる熱い動機を大切にする生き方をしたい。
そのための方法として第一に、自分で立てた目標を達成させるという強い信念を持つことだ。私は、成功したしていないにかかわらず、自分で決めて実行したことは人生でとても役立つと考える。私は以前、学級をより良くしようという取り組みで、自分のアイデアを実行して頑張ったことがある。それは学級お悩みボックスだ。これは、みんなが自分の悩んでいることを箱に入れて、日直さんが答えてくれるという取り組みだ。この出来事は私が小学5年生になって間もないころにあったことだ。初めは、誰もお悩みを書いてくれなかった。普通は落ち込むところだが、私の場合、逆に成功させてやると燃えて自分でお悩みを作って書いたのである。その内容はお悩みボックスに誰も何も書いてくれません。どうしたらいいと思いますか、というもの。それがみんなには大ウケだったらしく、次の日からみんないろいろなことを書き込んでくれた。とても嬉しかったし、自分がしたことをみんなに受け入れられて誇らしかったのを覚えている。つまり、強い信念が達成への近道であるハシゴを組み立てるのだ。
また第二の方法としては、社会の価値観に縛られないことだ。私は、人によってそれぞれ人生の価値観は異なるため、それを周りと合わせてはいけないと思う。最近よくニュースで見かけるのが、高校まで地元の公立の学校に通っていたが、超難関大学に通う人の紹介だ。その人は特別頭がいいギフテッドでもなければ、親が特別賢いわけでもない。ただ懸命に努力し続けただけだ。最初はいけるはずがないと馬鹿にされたが、自分を信じて夢を叶えた。日本の東大医学部生の中には、幼い頃から親にずっと教育させられてきたり、難関中高学校に通ったりする人もいる。そしてそれが難関大学に合格する道だという考えを持つ人も少なくない。そんななかで、ここまで来れたのは驚くべきことである。私はその人の努力に感動した。要するに、自分のしたいことは、周りに惑わされずに突き通すべきだということだ。
確かに、勉強などしなくてはいけないことはもちろんあって、それも人生において大切だ。しかし、「人生に意味はない。あるのは欲望だ。欲望があるからこそ、バラはバラらしく花を咲かせている。」という名言がある。この言葉のように、私はこれから、自分の心の「これをしたい」という叫びを大事にしていきたい。また、自分らしさを周りに流されずに持ち続け、様々なことに挑戦していきながら、私だけの花を満開に咲かせたい。その花が、世界に認められる花になるまで。
●高校生の課題の部
現在の教育に物申したいのだが。 あきつぐ 91点
先月私は高校に入学した。期待と不安を胸に高校生活を開始したのだ。オリエンテーションなどを経て、授業が始まった。私はつまずいた。完全に出遅れたのだ。自分自身暗記は苦手ではないのだが、覚える気にならないとこれっぽっちも入ってこないのだ。特にその被害を受けたのは数学である。新しく公式を覚えなくてはならなくなった。私にとって地獄だった。練習問題に対してここまで苦戦したのは初めてだった。因数分解や展開の問題でさっそく止まった。中学の時はもっとできていたはずなのに。そこで私は閃いてしまった。「あ、これ公式使わずに無理やりやればいいんだ」と。
確かに今の時代は過程を大事にする時代になってきている。数学の先生にも言われてしまった。しかし正直言って答えが求まればいいではないか。これはある種、本文に出ているような適応力なのではないだろうか。それこそ評価するべきではないのだろうか。
そこでそんな適応力を評価できる世の中にする案を考えてみよう。まずは一つ目。それは「その場その場での力を評価する」ことだ。臨機応変とも言えるだろう。その時々での力こそがその人の真価ではないだろうか?過程が大事なのは私達生徒も重々理解している。ただ、社会に目を向けたとき。頑張っていたから、やり方があっていたからそれでいいのだろうか。結局は結果を出さなければ意味がないのではないだろうか。これを酷だと言う人もいるだろう。しかし、答えはあっているのにバツにされてしまうのもまた、酷ではないだろうか。答えが最終的に合っていれば評価してもいいのではないだろうか。それこそが評価されるべきだと思う。
二つ目は「今の学校教育の評価の仕方の中心をテストから違うものに切り替えていくこと」ではないかと思う。テストが1番大きく比重を持つ近年の成績方式。そのせいで生徒は勉強に対して義務感を持ち、嫌悪感を持つ。まして、問題で「途中式を書け」なんて言われたらたまったもんじゃない。大事なのはそこではないのではなかろうか。よりフラットで、自由度の高いものの方がその人を評価できるのではないだろうか。わかりやすいのは理科だろう。確かに、式を覚え、記号を覚えるのは大事だ。でもそれ以上に実験をみてはどうだ。と、私は日々思いながらテストを受けている。また、テストを行うことは勉強に対する生徒の考えを歪めてしまっていると思う。「テスト2週間前だから勉強しなきゃ!」と、なってしまうのは望ましいことではない。勉強はテストで点を取るためにやるのではないのだ。逆なのである。勉強の効果測定のために、勉強の気力を維持のためにやるのだ。これはテスト中心である現代の教育が抱える大きな問題である。
今までの学校生活でわかったことがある。おそらく誰もが知っている。それは「みんなテストが嫌いで、体育や実験が好きだ」ということ。体育や実験は自分の力が、自分の判断がその場その場で発揮でき、生徒たちもやりがいがあるのではないだろうか。だからこそ私は「適応力」と言うものを中心として評価していける世の中にすべきだと私は思う。