「こんにちは」 道にとびでている菜の花(笑)
言葉の森のほかにも、いろいろな作文講座や作文教室があります。
そういうところの指導のほとんどは、小学生どまりです。
小学生の作文の勉強では、小学4年生までは、生活作文という事実中心の作文です。
この事実中心の作文を表現豊かに書くことが、小学生の作文のひとつの目標です。
しかし、小学5年生からは、事実文ではなく説明文の課題になります。
説明文の場合も、作文の中身は事実が中心ですが、大事なことは、その事実を通してより抽象的な主題があることです。
例えば、小学3、4年生の子が、友達のことを作文に書く場合、友達との出来事だけで作文を書くことができます。
「友達とあんなことをした。こんなことをした。」という作文です。
しかし、小学5、6年生になると、友達との出来事だけでなく、「人間にとって友達とは何か」という抽象的な主題が出てきます。
その「人間にとって友達とは」という主題に合わせた出来事を見つけて書くというかたちになってくるのです。
これが、中学生になると、更に主題中心の展開になります。
自分の意見という主題に合わせて、その主題に合う事実を構成するという書き方になります。
作文の学習には、こういう発想の進歩があるのです。
作文は、小学5年生から本格的に難しくなります。
小学校の高学年まで作文の勉強を続けなければ、低学年から作文の勉強を始めた意味がありません。
言葉の森のほかの作文講座の中には、「小学1年生から6年生まで」とうたっているところもあります。
こういう作文講座では、小学5、6年生の作文指導も十分にはできません。
作文の勉強では、中学生、高校生までの作文指導があるのが当然で、その流れの中で、小学校高学年の作文指導もあります。
ということで、新しく小学5年生になるみなさんは、新学年になると、作文の課題が急に難しくなったと感じると思いますが、それが自分を成長させるのだと思ってがんばってやっていってください。
小学5年生の字数の目標は1000字、小学6年生の字数の目標は1200字です。
こういう字数も平気で書けるように、作文と読書に力を入れていってください。
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慶應義塾大学理工学部 H.S.さん
<保護者様より><担当講師より>
K高校在学中も三年間連続で成績優秀者としてたゆまぬ努力をされていました。自分の適性を鑑み、理工学部への進学を決定されたそうです。
私は、小学三年生からHさんを担当させていただいたのですが、
お母様から言葉の森について嬉しいお言葉をいただきました。
「言葉の森で積み重ねてきたことがこの子の力になっている。書いた文章を認め、指導の中でも思ったことを認めていただきありがとうございました。
言葉の森で暗唱を続けたことで言語への関心が湧き、この子が言語を学びたいという学習意欲を高めさせてくれました。」
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コブシ
総合学力クラスの小学4年生の生徒が、創造発表の週の授業のとき、自分の作ったキャラクタを紹介して、「いつか、このキャラクタを売れるようにしたい」と言っていました。
大物(笑)。
昔ながらの国算英理社を勉強していただけでは、こういう発想は生まれません。
昔の勉強は、仕事をさせられる人になることが目標で、仕事をする人になることではなかったからです。
経済が発展しているときは、仕事をするためのハードルは低いものでした。
勉強は、そこそこできれば、自分で新しい仕事を始めることができました。
松下幸之助、本田宗一郎、井深大(まさる)は、学校の勉強は、普通にそこそこできていただけだと思います。
少なくとも、超エリートと呼ばれるような学歴では全くありませんでした。
しかし、日本が戦後の復興に向けて、新しい社会を作ろうとしているときに、高学歴は必要なかったのです。
必要なことがあれば、必要なときに学べばいいので、学ぶ力と意志があれば、学ぶことはあとからいくらでも身につけることができたのです。
しかし、その後、日本の経済は停滞しました。
量的には発展していましたが、質的には停滞していきました。
できあがったものを改良して増やしていくだけの経済になったのです。
今も、その時代は続いています。
だから、今の若者の多くは、大学入試のゴールを達成したあと、大企業に入社することをゴールにしています。(一部は、違いますが)
もちろん、それは、悪いことではありません。
企業の大きな肩の上に乗って、自分の個性を更に大きく伸ばすことはできます。
しかし、それは沈んでゆく豪華客船の上で、よりよい上の階に移ることでしかないように思うのです。
新しい時代は、新しい小船に乗って始めることです。
今はまだ、そういう選択は無謀のことのように思えます。
しかし、世の中の変化が迫っているときには、早めに無謀なことに挑戦していくのがいいのです。
明治時代に入る前の福沢諭吉の選択に賛同する人は、家族でも友人でも知人でも誰ひとりいませんでした。
みんなから認められるようなことは、時代の変革期には時代遅れのことなのです。
ところが、新しい時代に挑戦するためのベースは、松下幸之助、本田宗一郎、井深大が生きていた時代とは違っています。
その違いを理解することが大事です。
第一は、現代の新しいテクノロジーを前提にすることです。
それが、パソコン、ChatGPT、3Dプリンタ、仮想通貨、クラウドファンディングなどです。
しかし、新しいテクノロジーをそのまま使うようなものは、すぐに競争過多になります。
中国のシェアサイクルは、一時は広まりましたが、今残っているの会社はわずかです。
結局、競争が過多になるものは、工夫を続けるところしか生き残ることができません。
だから、必要なことの第二は、読書によって自分の考えを深めることです。
単に新しいものに着手するだけではなく、そこに自分なりの哲学を作っていくことです。
新しい技術と古い読書、これが、これからの子供たちの学ぶべきものの基本です。
しかし、子供たちの保護者である、お父さんやお母さんの多くが、どちらも苦手であることが多いのです(笑)。
大人の人が今から読書をがんばるのは難しいので、とりあえず、子供と一緒に新しい技術に接していくことが大事になると思います。
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レンギョウのつぼみ
目白駅に行かなければならない用事があったので、本を3冊カバンに入れて、行き帰りで読むことにした。
行きに1時間半、帰りに1時間半ぐらいだから、たっぷり読めた。
本棚から急いで取り出したので、かなりランダムだが、
「
日本転生」(苫米地英人)
「ChatGPTプログラミング1年生」(森巧尚)
「シリウス宇宙連合アシュター司令官VS保江邦夫緊急指令対談」(保江邦夫・江國まゆ)
もうすでに読んでいたものもあったが、繰り返し読んでもいいと思ったので持っていった。
3冊の読後感をまとめてひとことで言えば、世の中はいい方向に変わっているということだ。
特に、苫米地さんの話は、一昔前だったら言えなかっただろうことが書かれている。
保江さんも、そう。
ChatGPTは、これから中学生以上の生徒全員がアカウントを取得するといいと思う。
野口悠紀雄さんの「ChatGPT超勉強法」にも書いてあったが、もう、先生という仕事は要らなくなると思う。
そのときの新しい教育の方向はわかっている。
それは、ひとつは作文と創造発表とプログラミングだ。
しかし、もうひとつ、国数英理社の教科の勉強をひととおりしておく必要がある。
それは、基礎学力、総合学力、全科学力でまとめて短時間でやればいい。
勉強を短時間で済ませて、空いた時間は、自分の好きなことと難読に力を入れることだ。
苫米地さんの本で、共感したところが、学生は難しい本をしっかり読めということだった。
考える力のある人は、すべて読書の大切さを知っている。
とりとめのない話になってしまったが、今日は充実した一日だった。
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苫米地さんの「日本転生」は必読書。
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