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作文の赤ペン添削の理論と方法 as/521.html
森川林 2009/06/12 07:59 


 言葉の森の作文指導は、どの先生が教えても同じ水準が保てるということを目標としています。これは、インターネットを介して講師の評価や講評が互いに共有できるというところから可能になっています。そのため、急な休講などがあった場合も、他の先生がその生徒のこれまでの勉強の内容を見ながら、同じ流れで指導を行うことができます。

 ところが、手書きの作文に直接入れる赤ペンは、生徒のもとにそのまま返却されてしまうので、講師の間での共有ができません。

 あるとき、保護者の方から、先生によって赤ペンのつけ方に違いがあるという指摘を受けました。赤ペンの基準は、(1)誤字は、とりあえず必ず直しておく、(2)よいところや面白いところ中心に褒めていく、(3)コメントは、生徒に対する手紙のような形にとどめ、指導の内容とはしない、(4)指導は、講師どうしが共有できる「山のたより」の評価・講評を中心にする、ということにしています。ところが実際には、赤ペンでたっぷりコメント書く先生と、あっさりとしかコメントを書かない先生の差が大きかったのです。


 今回は、この赤ペン添削の理論と方法について考えてみたいと思います。

 日本では、低学年の作文指導がよく行われています。こういう国は、世界的にはあまりありません。なぜかというと、日本語は、声に出した言葉がほぼそのまま文字の言葉になるからです。それに対して例えば、英語は、発音とスペルが一致しない言葉が多いので、低学年からの作文指導はできません。低学年の作文指導は、日本の教育の大きな特徴になっています。

 ところが、この作文指導が、小学校高学年、中学生、高校生になるとあまり行われなくなります。その理由は、赤ペンの添削に時間がかかるからというのがたぶん最も大きな理由です

 しかし、それでも赤ペンに効果があるのならいいのですが、実はそうでもないのです。

 赤ペンの添削は、子供の作文の場合は特に、病気になったときの対症療法と似ている面があります。あちこちにできているニキビや吹き出物に次々と薬をつけているが、いつまでたっても新たに悪いところが出てくるので治らないという感じなのです。

 子供の作文を上達させるということから考えると、この対症療法的な指導ではなく、もっと根本的な指導が大事だということは、多くの先生が漠然と感じています。

 ところが、赤ペンがびっしりと書かれていると、何か充実した指導が行われているような感じを受けます。実際、先生が手間をかけるので充実していることは確かですが、それが指導の成果に結びついているかということになると、そうではないのです。

 このため、学校などでも、先生は、自分の担当する30人から40人の生徒に対して、みんなにコメントを入れてあげたい、しかし、それでは、時間がかかりすぎて他の指導ができなくなる、というジレンマに置かれています。

 かつて教育法制化運動の作文指導法の一つとして、提出された作文には、大きく花丸をつけて返す、というだけの教え方が提案されていたことがありました。これは、赤ペンを入れるのに手間がかかるから何もしないというよりも、ただの花丸だけでもいいので、子供たちに作文を書かせることが大事だという考えから来た指導法です。これは、一つの卓見です。

 しかし、花丸をつけて返すだけよりも、本当は森リンなどの自動採点ソフトによる評価をつけて返せば、もっと身のある指導ができます。生徒がパソコンで入力したものを、自動採点ソフトで評価して返すという形です。この方法はすでに、アメリカではいくつかの州の公立高校の単位で行われているので、やがて日本でも採用されるようになると思います。


 さて、言葉の森以外の作文教室教室では、びっしりと書かれた赤ペン添削というものをセールスポイントにしているところもあります。赤ペンを入れるというのは、一見やりやすい指導のように見えますが、こういう形の指導を続けて1年も経つと、その子に何をどう教えて、その結果どうなったのかということがつかめなくなり、やがて継続した指導をすることができなくなっていきます。

 言葉の森では、作文に対する赤ペンは、指導にとっては付随的なもので、指導の中心は、あくまでも事前に与えられた課題と項目と構成に基づいたアドバイスだと考えています。


 赤ペンによる添削を講師の側から考えると、多数の生徒の作文を読んで赤ペンを入れるというのは、実はかなり精神的に疲労する作業です。なぜかというと、短い文章を次々と読むというのは、長い文章をまとめて読むのとは違う難しさがあるからです。ちょうど、加速してすぐに停止する渋滞の道路で車を運転しているような感じの読み方というと感じがわかると思います。長いひとまとまりの文章を読むのに比べて、異なる短いテーマの文章を次々と読むのは、人間の感覚として自然な読み方ではないのです。

 また、赤ペンの添削はどうしても直すところに意識が向きがちです。欠点を指摘して直すという見方でものを見ている状態は、これも実は読む人を疲労させます。ですから、言葉の森の赤ペン添削は、誤字をひととおりチェックして直したあとは、基本的に褒めることを中心に書くようにしています。


 赤ペンに教育的な意義があるとすると、それは、子供がそれを見て喜ぶという効果です。赤ペンは、子供にとって、先生から個人的な手紙をもらったという感じのメッセージになるからです。赤ペンは、勉強の指導というよりも、交流、共感、対話、コミュニケーションという意味を持つ手紙のような役割を持っています。


 そこで考えたのが、指導と対話を分離することです。


 言葉の森の指導は、数ヶ月の大きな方向を指し示して、その方向に沿って毎週小さなチェックを行うようなシステムになっています。

 指導法の特徴の一つは項目指導で、もう一つは電話指導です。将来は、インターネットの活用による生徒どうしのコミュニケーションも指導の重要な要素になると思います。

 電話で毎週先生が指導するという方法がとれるので、先生が生徒の作文に対して書く講評は、この電話指導のメモとして使う形になります。

 講評というと、それ自体が指導と考えられがちですが、そういう要素はあまりありません。ですから、講評を生徒が読まなくても全く問題はありません。先生が電話を通して、その講評の内容を子供にわかるように伝える仕組みになっているからです。


 このような特徴を生かしながら、指導と対話を分離して実現していくという方法を現在考えています。

 対話というのは、生徒と先生の人間的な触れ合いです。しかしこの触れ合いを赤ペンを通して行うのでは、指導と対話の境界がはっきりせず、赤ペンを書くのに負担がかかりすぎるようになります。

 指導は、必要なことを簡潔に伝えることが大事ですが、対話は、たっぷり時間をかけること自体が重要になるからです。

 教育で大事なことは、長続きする教育ですから、教える側にも負担がかからない、しかし教わる側には触れ合いがあるというような工夫をしていくことが必要になります。

 シュタイナー教育は、人間の触れ合いを大事にしている優れた教育法ですが、教える側の手間がかかりすぎる面があります。それは、教師が教育のすべてを担うという専門性を持ちすぎているからです。手間がかかるということは、結局、世の中に普及させにくいということです。

 昔の日本の子育ては、父親も母親も多忙な生活を送る中で、子供どうしの遊びや地域の行事や家庭の文化がそれぞれ高度な教育力を持っていました。子供は、日本の社会や文化の中で自然に多くのことを学び、親はそれをときどきチェックするというような関係だったのです。

 これは、寺子屋のような教育機関でも同じです。先生がすべての生徒に対して専門性を発揮して面倒を見るのではなく、生徒どうしの関係や教育カリキュラムの流れが自然に教育力を発揮していたのです。

 福沢諭吉の自伝に、そのあたりの事情が垣間見られるエピソードがあります。諭吉がオランダ語を学んでいたころの塾の様子は、(1)生徒が定期的に先生の前でオランダ語を訳す、(2)その出来具合によって勉強しやすい場所に自分の席を確保することができる、(3)上の生徒が下の生徒を教える、という仕組みになっていたようです。


 今後の教育には、生徒どうしの交流と、家庭と講師との連係プレーによる親・子・講師三者の触れ合いという二つのことを考えていく必要があると思っています。

 そのための具体策を今考えているところです。


(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)


マインドマップ風構成図
 記事のもととなった構成図です。

(急いで書いたのでうまくありません)

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ファイルからデータベースへ=物から情報へという流れは、教育にも大きな影響を与える as/520.html
森川林 2009/06/11 07:33 


 6月10日の日本経済新聞に、「今後の主役、ハイブリッドより電気自動車」という記事が載っていました。

 ハイブリッド車、つまりガソリンエンジンと電動モーターを併用する仕組みの車は、トヨタのプリウスに見られるように現在大きな人気を博しています。しかし、アメリカのテスラ・モーターズが発売した電気自動車のように、世界の大きな流れは、ガソリンから電気へと大きく変化しています。ハイブリッド車は、過渡的なものは消滅するという法則のとおり、将来は自動車の歴史における木炭車と同じものになるでしょう。


 自動車が電気自動車中心になると、その構造は、単純化され、自動車のコモディティー化が始まります。

 これは、かつてのパソコンがたどった道と同じです。IBMのパソコンは、中国のレノボがそのブランドを引き継ぎました。パソコンはすでに、いくつかの部品を組合わせれば誰でも作れるものになっています。やがて自動車も、モーターと電池の組合わせで、特別の技術や設備がなくても組み立てられるものになっていきます。


 このような大きな変化は、インターネットの世界でも起こっています。しかし、これは、すでにいろいろところで言われているので省略します。


 さて、話は大きく変わりますが、現在の世界では、軍事力の中心は核兵器です。しかし、この核兵器は、かつての武田勝頼の騎馬軍団に相当するようになるのではないでしょうか。

 信長の鉄砲隊が登場することによって、それまでの軍事力の概念は大きく変化しました。日本は現在、軍事力の質という点で周辺の諸国よりも後れを取っています。しかし、日本の安全は、従来の軍事力の延長で考えるのではなく、独自の科学技術やシステムを生かした道で考えていくべきです。この大きな方向を目指しているか否かということが、これからの日本の未来を大きく左右するはずです。

 単に、相手も核を持っているからこっちも核をという選択肢しか考えつかないのでは、平和の問題は袋小路に陥ります。


 さて、話を元に戻して、ウェブでも今後大きな方向の変化があります。それは、一言で言えば、ファイルからデータベースへという流れです。

 すでに10年以上前から、ローカルのパソコンの世界では、様々なアプリケーションがデータベースを中心にして動くという形に変化していました。

 一時、年賀状ソフトが人気のあるアプリケーションだった時代がありましたが、年賀状ソフトの限界は、データベースを年賀状ソフト用に構築しなければならなかったことです。

 言葉の森によく売り込みに来た顧客管理システムも同じです。顧客管理システムに合わせてデータベースを構築すると、ひとつの会社の中でデータベースが複数作られてしまいます。

 これからのアプリケーションは、ある一つのデータベースを中心に、そこからワンストップで情報を引っ張って加工するという形が中心になります。

 さらに言えば、ローカルのパソコンにデータベースがあるのではなく、インターネット上にデータベースがあり、その情報を自宅からも外出先からもレジャー先からもアクセスできるということが求められるようになります。

 マイクロソフトのモデルであったオフィスソフトのセット販売という時代から、グーグルなどが目指しているウェブ上でのアプリケーション利用の時代に今IT環境は大きく変わろうとしているのです。


 インターネットのホームページにこの変化を当てはめてみると、やはりファイルからデータベースへという流れが、当面の最も目立つ変化になります。

 これは、このことによって、ブログの役割がこれからますます大きくなってくるということでもあります。

 ブログにも、静的なファイルを生成するブログと、データベースから動的なページをそのつど生成するブログがあります。また、動的に生成したファイルを静的なファイルに見せる仕組みのブログもあります。これらは将来、編集のしやすさという点から、多くが動的なページになっていくと思われます。

 SEO対策の面からは、今はまだ静的なページの方が検索されやすいという点で有利なようですが、これも将来は検索エンジンの仕組み自体が動的なページ中心に改良されていくと思います。


 今、SNSとブログは、相互に乗り入れする形で互いにSNS的なブログとプログ的なSNSになりつつあります。しかし、ウェブ上の表現力の点から見れば、ブログからスタートしたSNS的ブログの方に分があるようです。例えば、mixiとアメブロでは、mixiで自分の日記を公開するよりも、アメブロで公開している日記で他の人とコミュニケーションも図るという形が多くなっていくと思います。


 今後、企業のホームページも、ページ自体がブログ化する形で進んでいきます。

 ブログ化したホームページの優位性は四つ考えられます。

 第一は更新頻度が高いことです。ブログはFTPのような設備がなくても、会社からでも自宅からでも外出先からでもどこからでも必要なときに更新できます。

 第二はデータベースから情報を引っ張っているので、個々のページの加工がきわめて容易だということです。

 第三は、静的なページではなく、動的なページで常にコミュニケーションが図れるということです。

 第四はRSSで記事の更新がすぐに全世界に通知できるという点です


 言葉の森では現在、HTMLで作っている静的なページをすべてデータベースから生成する動的なページに作りかえていく予定です。

 さて、この「ファイルらデータベースへ」という流れの本質は、「物から情報へ」という流れです。

 このことを、これからの職業にあてはめてみると、次のようなことが言えます。

 P・ドラッカーは、企業の寿命は30年ほどだと述べました。人間の生きている時間はそれよりももっと長いという点から考えると、企業に就職するという時代はすでに終わりつつあり、今後は自分の知識や技能を生かせる職種に就くという形の就職が中心になってきます。


 このことはまた、教育の変化についても、大きな示唆を与えています。

 それは、ひとことで言うと、教科書や教科や学部や学校という外側の枠組みに結びついた知識ではなく、その人の生きる中身に結びついた知識がこれから重要になってくるということです。


 昔は、ある学部に入ることや、ある学歴を持つことや、ある資格を持つことが、ある職業につくための条件だった時代がありました。特定の企業や組織に就職すれば一生その構成員でいられる時代にはそれでよかったのです。

 しかし、これからはそうではありません。どこに放り出されてもひとりで自分を売り込める中身がなければ、変化の大きい社会では生きていけません。


 それは、ある意味で多くの可能性を秘めた社会です。これまでは、偏差値に見られるように、特定の勉強の出来不出来で序列化が可能な社会でした。これからは、自分の得意分野を頂点にして、世の中にある無数の勉強を自分なりに組み立てて勝負していく社会です。

 勉強をすることは、昔も今もその必要性は変わりませんが、昔のように勉強の側に主体があるのではなく、自分の人生の方に主体がある社会になっていくのです。


(この文章は、構成図をもとにICレコーダーに録音した原稿を音声入力ソフトでテキスト化し編集したものです)

マインドマップ風構成図
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