https://youtu.be/M-_-1_Id0Ig
◆◆日本人の共感力とは何か
日本人は共感力の高い民族だと言われています。
それが例えば「同調圧力に弱い」などという形で現れることもあります。
つまり、自分のことよりも他の人に気を使い、他の人がどう思っているかを考えるという面が強いのです。
コロナウイルスの騒動が起こったとき、街を歩くと、すれ違う人のほぼ百パーセントがマスクをしていました。
ほとんど一人の例外もなく、マスクをして歩いていたのです。
知人にその理由を聞いてみると、「みんながしているのに、自分だけしないのはおかしいと思われるから」ということでした。
それは、悪いことではないのです。
そういう生き方が、日本人の家族主義的なまとまりの基盤になっています。
◆◆共感力は創造力にもつながる
しかし、今回述べるのは、共感力が同調圧力につながっているという話ではなく、共感力が創造力の源にもなっているという話です。
私たちは、自分個人のことを考えると同時に、他人のことや人間以外の生き物のことも考えがちです。
一茶の句に「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」とか、「雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る」とかいうものがあります。
これは、きわめて日本的な感覚です。
自分以外の生き物にも感情を移入し、自分と同じような感覚でその対象を見ているという共感力の表れです。
それが創造力に発展するのは、自分とは異なった優れたものに遭遇したときです。
◆◆模倣から創造へ
種子島に鉄砲が伝えられたとき、人によっては、自分が考えつきもしなかった武器が、自分とは異なる人間が作った魔法の武器であるかのように感じたと思います。
しかし、日本人は、同じ人間が作ったものなら、自分も作れるはずだ、というところに共感力を発揮したのです。
共感力は、時に模倣力と言われることもあります。
模倣力は、同調力という概念と似ています。
相手のやっていること、相手の良いところをそのまま吸収しようとするのが模倣力であり、同調力です。
しかし、その模倣力が発展したものが創造力なのです。
明治時代、日本の近代化が成功したのは、ヨーロッパの人々ができることなら、同じ人間である自分たちも当然できるはずだという共感力の土台があったからだと思うのです。
◆◆日本文化に根づく共感力
私が印象的な昔話として覚えているのは「笠地蔵」です。
笠が売れ残り、余った笠を持って帰る途中、お地蔵様が雪の中で立っているのを見たおじいさんは、自分の持っている余った笠を一人ひとりのお地蔵さんにかけて帰りました。
人間だけではなく、立っているお地蔵さんにも共感を覚える気持ちが背景にあったからです。
「葉隠」に書かれていた話ですが、ある藩の君主が部下の裁判で罰を与えることになりました。すると、君主の母が「あの者はどうか助けてやってほしい」と懇願したのだそうです。
最初は、もちろんそれを断り、「自分の決めたことに、たとえ母親であっても口出しをするべきではない」ときつく言い渡しました。
しかし、その母親が、日を置いて二度三度と繰り返し同じことを頼むと、君主は、「それほどまでに言うのなら、許す時期が来たのだと思う」と答えたそうです。
こういう話を聞くと、私たちの中に少しほっとする気持ちがあります。
理屈は理屈で大事ですが、その理屈を超えたところに、人間の情が入ることがあるということです。
◆◆弁証法と三方よし
ヨーロッパには、「正反合」という考え方があります。
対立するものが止揚されることによって新しいものが創造されるというのです。
日本には、「三方よし」という考え方があります。
最初から、対立のない状態を目指してよりよいものを創造するのです。
◆◆共感力を未来の力にするために
共感力は日本文化の中に幅広く根づいています。
それは、日本の文化が若い文化ではなく、長い歴史を持つ文化だからです。
しかし、共感力も、行き過ぎれば狭い村の文化になります。
革新を続けるためには、共感力を基盤としつつも、新しい改革を阻まない自由な文化を育てていく必要があります。
そのひとつは、調和と規制を基礎にする一方で、いろいろな分野で特区を作ることだと思います。
ふと、渋谷のスクランブル交差点を思い出した(笑)。
※言葉の森のnoteの記事もごらんください。
https://note.com/shine007
https://youtu.be/XtpwSL4CPIc
次のようなタイトルの記事がありました。
「悲しいの類義語は?」→「ぴえん」現役高校生の“語彙力不足”に国語講師が危機感を抱くワケ。「自分が何を考えてるかわからない」
(Yahoo!ニュース)
◆◆暴力やかんしゃくの背景
幼児から小学校1、2年生にかけての子で、すぐ人に暴力を振るう子、すぐにキレる子、言うことを聞かない子がいます。
小学1年生のクラスに、そういう子供がいることもあります。
そういう子供たちが複数人いると、どの先生が指導してもクラスをコントロールすることは難しくなります。
昔は体罰によって言うことを聞かせることもありましたが、今はそういうことはできません。
こうした問題の背景には、その子の育った家庭環境が大きく関係している場合があります。
◆◆語彙力と感情のコントロール
暴力を振るいやすい子、キレやすい子に共通しているのは、語彙の発達が不十分だということです。
語彙が豊かになるほど、自分の気持ちを言葉で表現できるようになり、感情をコントロールしやすくなるのです。
どうしたらよいかというと、その子に対する読み聞かせと読書の量を増やしていくことです。
保護者の多くは、読み聞かせや読書は十分にしていると思っていますが、それは親の感覚でそう思っているだけです。
子供にとっては、まだ読み聞かせや読書が不足しているために、キレやすくなっていることがあるのです。
◆◆成長しても続く語彙力の差
語彙力の不足は子供時代だけの話ではなく、成長した子供にも表れています。
「やばい」とか「すごい」とか「ガチ」とか「めっちゃ」という言葉ばかりで話している状態では、自分の気持ちや考えを十分に表現することができません。
◆◆語彙は毎日の積み重ねで身につく
語彙を増やす練習は、知識として増やすのではなく、身体的に増やしていくことが必要です。
つまり、算数や英語を勉強するような方法ではなく、音楽やスポーツの練習をするような方法で、毎日気長に続けていくのです。
その成果が出てくるのは、毎日続けて半年ぐらいたってからです。
それまでは、気長に続けていくことが大事です。
◆◆読書紹介で見える語彙力
語彙力があるかどうかということは、言葉の森のオンラインクラスの読書紹介や一人一言の時間でよくわかります。
先生はもちろん、子供がどのような読書紹介や一人一言をしたとしても、それを注意することはありません。
発言したことを、まずそのまま認めるだけです。
しかし、子供たちにはやはり大きな差があります。
読書紹介でも、その本の簡単なあらすじを述べながら、いちばん心に残ったことと、自分の感想を簡潔に説明できる子がいます。
◆◆年齢によって話し方は変わる
ただし、小学2年生までは、そのような簡潔な説明はあまりできません。
小学1・2年生は、物事をありのままに受け入れる時期なので、読書紹介をする場合も、その本の最初から最後までのあらすじをすべて話すことがほとんどだからです。
基準になるのは、小学5・6年生で、自分の読んだ本の内容を簡潔に、しかも内容豊かに話す力です。
◆◆語彙力と思いやり
そういう話し方のできる子は、他人に対する思いやりもあります。
単純に「面白かった」「つまらなかった」というだけの子は、人間関係でもそういう見方をしがちです。
そのため、弱いものに対する配慮や、自分と違うものに対する理解が生まれにくいのではないかと思います。
◆◆幼児期に最も大切なこと
幼児から小学校低学年にかけての教育で最も大事なことは、愛情と対話です。
それ以外の勉強は、それほど急ぐ必要はなく、学校に行っていれば十分というぐらいに考えておくといいと思います。
家庭で読み聞かせ、読書、対話が十分にできていれば、子供がいざ勉強しようという気持ちになったときに、後からいくらでも追いつけるようになるからです。
◆◆子供はすぐに成長するので、心配は要らない
昔、やはり小学1年生の子で、兄弟にすぐ暴力を振るう男の子がいました。
その子の兄弟の誰も素直でいい子だったので、お母さんにそのことを指摘すると、意外という顔をしました。
しかし、その後お母さんが読書に力を入れて行ったのだと思いますが、現在は明るく勉強熱心な高校生になっています。
子供の今の時点での欠点は、誰でもあるものですから心配は要りません。
対応の仕方は、「愛情と日本語」と考えておけばいいのです。
※言葉の森のnoteの記事もごらんください。
https://note.com/shine007