今日は、ちょっと大きな話です。
言葉の森は、作文教室としてスタートしました。国語教室や学習塾のようなものではなく、作文教室として始めたのは、作文以外の勉強というものはほとんどが独学で可能だと思っていたからです。
音楽やスポーツなどの分野は独学が難しい面がありますが、作文も同様に独学がかなり難しいという面があります。その要因はまず、自分では自分の書いた文章が評価できないということです。また、文章を書くというのは、あらたまったものになると大きな精神的エネルギーが必要になります。しかも、文章を書くということについての方法論が、「三多」や「起承転結」のようなもの以外にあまりありませんでした。
しかし、その後、いろいろな試行錯誤の結果、現在その最も難しい作文指導で、基本的な道筋ができたと思います。まだ、意欲化という点で不十分なところがありますが、作文指導の大きな流れはもう既にできています。
そこで、このあと考えているのは、作文以外のトータルな教育についてです。
教育というものを大きく考えると、四つの分野に分けられると思います。
第一は、科学的なものです。ここには、現在の勉強の多くが含まれます。特に、理科や社会の関係の勉強は、テキストを読んで内容を把握することが学習の基本になります。現在の無駄の多い、重箱の隅をつつくような教材を廃して、もっと精選された教材で能率よく吸収する方法があると思います。
第二は、哲学的なものです。これは、現在の作文を発展させたもので、数学のようなものも一部に入る、考える力をつける勉強になります。
第三は、工学的なものです。ここには、技術、美術、音楽、語学、プログラミングなどが含まれます。つまり、手足や道具やシステムを自分の意志と一体のものとして自由に動かす技能を身につける勉強です。これも、現在は、一部の才能ある人だけがその分野を楽しめるような狭い世界になっていますが、だれでも日常的にできるものにしていく必要があります。音楽も、絵画も、日曜大工も、料理も、プログラミングも、気ままに自由にハイレベルでできるようになるというのが、工学の教育のイメージです。
第四は、心身的なものです。ここには、保健、体育、倫理、道徳などが含まれます。これは、人間の健康、幸福、愛、美、楽、笑などの分野です。
これらの四つの分野で、今最も未開拓の分野が、心身の教育だと思います。
心身の教育の目的は、ひとことで言えば、願ったことを実現する力を育てることだとも言えます。自分がもっと健康で、幸福で、美しく、楽しく生きたいという願いを実現する力を育てる教育です。それをファンタジーのレベルではなく、教育的な方法論をもって成立させることが、今後の課題です。
人間というものは、考えてみると、不自由な存在です。それは、身体と言語と感情と感覚に制約されているからです。しかし、同時に、その制約が人間の創造性の源になっています。だから、それらの制約をうまく組み合わせるシステムとしての文化が必要です。
生物の世界では、何十万年という歴史の中で、現在見られるようなほぼ完成された生態系が作られてきました。目に見えないようなバクテリアも含めて、地球上の生物が大きなシステムの中で多様に生きているのです。
その生態系が、人間にあっては文化にあたります。今、欧米文明というひとつの文化的生態系の限界が明らかになりつつあります。それは、単に、環境保護の心構えや工夫だけで済む問題ではなく、欧米文明が立脚している根本的な哲学そのものに問題があるのではないかと思います。
その欧米の哲学に対置できるのが、この島国で数千年に及ぶ平和と英知の文化を築き上げてきた日本の存在です。しかし、それを単に、日本のローカルな自慢にとどめるのではなく、日本文化を世界的なレベルにまで抽象化する必要があります。日本文化の特徴の一つは、言挙げをしないことでした。しかし、阿吽の呼吸というような世界は、すぐには普遍的な文化にはなりません。
これからの新しい学校の目的は、トータルな教育に加えて、日本、それもローカルな日本ではなく、抽象化された日本を世界に伝えることにもなると思います。
以上、やはりちょっと大きくなりすぎたか。(^^ゞ
公立中高一貫校では、作文の試験があります。言葉の森では、9月ごろから志望校の過去問に合わせた課題で作文を書く「受験コース」が始まります。このコースは、高校入試、大学入試についても同様です。
作文は、答えというものが一つではない世界なので、自分なりに考えて書いていくことが大切です。
作文の勉強には、字数、構成、題材、表現、主題、表記などの分野があります。このうち、字数、構成、表現、表記については、練習を重ねていけば力がつきます。しかし、題材と主題に関しては、生徒の側の事前の準備が必要になってきます。ここが、自分で考える要素になるのです。
事前の準備でいちばんよい方法は、テーマを見て、お父さんやお母さんが一緒に対話をしてあげることです。「もし、お父さんだったらどうするか……」「お母さんも、子供のころ、こんな話が……」という話をしていくのです。
ところで、小学校6年生以上でそのような話をオープンにできるようにするためには、小学校1、2年生のころから、家族での対話が日常生活で自然に行われている必要があります。
小学校の低中学年では、暗唱や音読の自習を聞いてあげる時間があります。そのとき、お父さんやお母さんは、「次の週の課題で、作文はどんなことを書くのか」ということも聞いてあげてください。また、小学校3年生以上は、題名課題や感想文課題になっているので、次の週の課題を聞いて、それに関連した話をお父さんやお母さんがしてあげることもできます。
このような家族での対話が、子供が自分で考える土台になっていくのです。