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1999年~2000年まで。   羽田野家

のお正月
アジサイ の広場
ホームズ なか 小5
 
 
 
 家族全員一度にとふれあう機会は,年を重ねると共に,段々と少なくなって
いる。これは、全国の子どもにも言える事だが,家の場合は,父が単身赴任で
岡山に言っているため、そういったことはあまりできないのだ。
 
 だが、そんなわがやにもにも毎年欠かせない行事がある。一番家族が長くい
っしょに過ごせるもの。それは、大晦日のカウントダウンだ。いつもは、伊豆
の祖父母の元でむかえる大晦日とお正月だが,母が病気にかかってしまったた
め(頬がはれて,外に出られなくなった。)今年は伊豆には行けなかった。僕
にとって,初めて家で過ごすお正月。父母も,結婚して以来ぐらいだそうだ。
まさにミレニアム。しかし、2000年問題の恐怖が待っていたのだ。ニュー
スで世間を騒がせた,Y2K。僕は,日本中の時計の日付が一月一日になった
瞬間,電気,水道,ガス…などが使えなくなるものだと思っていた。家族全員
で,テレビと一緒に5,4,3、とカウントダウンをする。僕は,生きた心地
がしなかった。僕の体に勇気という部分は,まるでありんこほどちっぽけにし
かない。そのため、かつてない恐怖感というものに襲われてしまったのだ。2
,1,0!!…………2000年――電気は大丈夫だった。僕は,次々に心配なも
のをチェックしていった。父は,僕の後からチェックしていき、妹は,胸をな
でおろしている。ただ、母だけははれあがった頬をなでおろしている。1999年
から2000年へのスリルは、ただの空振りに終わったのだ。
 
 それから、外に出るのは頬がはれて恥ずかしいという母を置き去りに,近く
の神社に初詣にいった。毎年初詣は、伊豆でやるのに,港南台の神社でやった
のは初めてだった。お賽銭は,母の病気が治る様にたくさん入れた。自分の肌
守りと,母へのお守りも買った。ああ、僕ってなんていい子なんだろう。我な
がら感激~!(笑)
 
 「親しき仲にも礼儀あり」ということわざがあるように,家族同士でも礼儀
は外せない。だから、みんなも僕を見習って,家族が病気の時はお守り買って
あげなきゃだめなのだ。エッヘン。(うそです。)つまり、家族と過ごす機会
は、なるべく増やさなきゃだめなんだということがわかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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