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時間
イチゴ の広場
優希 あなし 中3
 人びとが時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれて
いる。テレビ画面の隅に時刻が表示されるようになてから、さらに人びとは時
間におわれるようになった。しかし、時間への関心は、時間の能率的、効率的
な使い方に向けられている気がする。
 
 「今一番欲しいものは?」この問いに対して私なら真っ先にこう答える。「
時間が欲しい」・・・私の一日はまさに時間から始まって時間で終わる。例え
ば朝起きるのは目が覚めたからではなく「6時になったから」である。学校へ
行くのは学校へ行きたくなったからではなく「7時30分になったから」であ
る。私の頭の中はいつも時間のことが片隅にある。ふと気づくと時計をじっと
眺めている自分がそこにいる。やらなくてはいけないことがたくさんありすぎ
て、次に何をしようか、その次に何をしようか。そんな計算だらけである。余
裕なんてものはどこにもない。
 
 ではどうしたら時間にとらわれないのだろうか?時間に追いかけられないの
だろうか?おそらくそれは気持の問題であると思う。私達は「時間は足りない
もの」という固定観念を持ってはいないだろうか?そう考えるとドキっとする
。私は暇な時間が全くないわけではない。それなのに「時間が余ってる」とは
思ったことが一度もないのだ。私の中にはそういった固定観念が少しはあった
のだ。ここで発想の転換をしてみよう。「一日は24時間しかない」ではなく
「一日は24時間もある」と考えてみよう。「しか」と「も」を変えただけで
随分と余裕ができたことをはっきりと感じることができる。人間というのは不
思議なものである。
 
 しかし、余裕ができたとはいえ、時間は限られたものであることにかわりは
ない。それをいかに効率的に使うかということも大切ではある。時間の使い方
によってはかなり多くの体験ができるだろう。だが、時間に余裕を持つという
ことは、決して時間を無駄にすることではないのである。余裕をもつことによ
って、広い視野でまわりを見渡すことができて、大きな心の財産ができるので
はないだろうか。
 
 (「作文の林」にanashiで入っていたので、「中3の丘」にanasiで入れ直
しておきました。これからもインターネットで送ってね。(^o^)/ from森川林
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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