お互いの良いトコロの見つけかた...ってど |
うするんだぁΣ(-□-;) |
アジサイ | の | 道 | の広場 |
AE86 | / | えや | 高1 |
かつてフロイトは、二人種間の違いが実際には小さければ小さいほど、その |
差は想像のなかで不気味に増幅されていくと主張して、この現象を「微差のナ |
ルシシズム」と呼んだ。だとすれば、そ |
の当然の結果として、彼らは相手との比較においてしか自己確認できなくなる |
はずである。それにしても不可解なのは、このような民族主義者のこしらえ話 |
がなぜ根づいたか、なぜ悲劇にまで発展したかという点だ。でっちあげだと、 |
民衆はちゃんと知っているのだから。一九二八年、ベオグラードの議会内でク |
ロアチアの議員たち |
がセルビア人議員に暗殺され、それがもとで、第二次世界大戦期に民族抗争へ |
雪崩れ込んでいったという経緯はある。現在の紛争が一九四一年から四五年の |
内戦を引きずるものであることは確かだが、それだけではすべてを説明しきれ |
ない。先の内戦から今度の紛争勃発まで五十年近く続いた穏やかな民族共生時 |
代、あれはなんであったのかの事訳が定かでない。民族共生の平和はなぜ崩れ |
たか...不倶戴天の敵同士ですら、この問いには、いまもなお、満足には答 |
確かに人間は自分と違っている者を差別したり批判したりする性質(?)が |
あるのかもしれない。これは人間に生まれつき備わる「自己実現」や「自己確 |
認」の本能なのかもしれない。特にその性質が強いのが「ユーゴスラビア」と |
いう国である。なぜかといえば、ユーゴスラビアという国は国境が入り交じっ |
ていて多くの人種が暮らしている地域であるからだ。それぞれの人種が個々の |
人種を批判したり、キズ付け合ったりしているから、小さな地域紛争が絶えな |
いのだ。それによって死者が出るから今度は戦いを申し込まれる→するとまた |
やる→死者が出る→またやる。の繰り返しではないだろうか? いくら外見が |
違ったりしていても、人間は人間である。同じヒト科(?)なのだ。 |
学校での先生に対するカゲ口もそうである。みんなで集まり特定の人の悪い |
事を言う。そうすることで、自分達は自己実現や自己確認しているだ。又、双 |
子の兄弟姉妹もそうである。顔や体格は似ているが、趣味や性格は全く正反対 |
だったりすることも多い。私の思うにそれはお互いが同じ事をしているウチに |
お互いがぶつかり、自分達でも気付かないうちにお互いに違う方向に進んでい |
るのではないだろうか? |
ユーゴスラビアの人々に関わらず、私達ももっとお互いの事を理解し、認め |
合う事が大切なのではないだろうか? いや、認め合うべきであろう(☆_☆メ |
)。 |