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「知り」、そして「活かす」 アジサイ の広場
拓馬 ねき 中3

 これまでの近代産業技術は、常に技術からの発想だったと言える。これをするにはあれが必要だと考え、一定の資源に過度の依存がおこり、有力な代替資
源が見あたらないまま、石油資源の枯渇は目に見え始めている。これは、初心者の料理に似ている。「~を作るから、…が必要だ」という、技術からの発想だ 。ではプロの料理人はどうだろう。どうやら彼等は、良い材料を見つけ、それを活かすように料理をするようだ。そう考えると、我々のまわりにはかなりの 資源がある。無いのは資源でなく、それを「活かす」技術と、何よりそこに目をむける発想であった。今我々には、その発想の転換が求められているのではな かろうか。  

 個人レベルで考えれば、まず、自分の長所を知ることが大切である。そして、知った上で、さらにそれを向上させる。これが必要だ。この場合の長所は、
相手から見てでなく、自分から見てだ。例えば、「あっ、英語が5だ!でも音楽が2だ…。」と言う場合でも、決してそれだけで自分は英語が得意で、音楽が苦手 と思ってはならない。たとえそうでも、自分がギターが得意だと思ったら、音楽が「長所」なのである。今は亡きX-JAPANのhideだって、青年時代、音楽は「2」 だった。それから、あれだけのミュージシャンになったのだから、他人からの干渉のみで自分の向き不向きを決めてはならない。自分で長所を見つけ、それ から生き方を模索する方法をとることが大切だ。  

 また、周りも、他人に目を向けるのならば、「出る杭は打つ」とか、「苦手をなくす」と言う考えを捨てなければならない。「一見全くダメダメ君だけど、○
○をやらせれば右に出るものはいない」。良い。すばらしいではないか。このときに、その人に○○以外の事をさせる必要はないではないのか。出る杭を打 ってどうする。出る杭は磨け。むしろ、「出る杭を打つ」という言葉をかえるべきだ(いや、言い過ぎか?)。苦手を無くすことは、確かに重要かもしれない。 しかし、得意を作り、伸ばすことこそ、最も必要なことであろう。柔道でもバスケでも、同じ事だ。「力」で相手をひねり倒すだけが柔道じゃない。「高さ」で 上回ったチームだけがバスケの勝者ではない。「速さ」で力強い大きな相手を倒す柔道選手がいる。「チームワーク」で背の高い選手を惑わし、勝利するバスケ チームがある。故にまわりは、いや社会は、すべからくはある一定の固定概念を捨て、向き不向きを見極める力が必要となる。  

 全てに精通していて、何をやらせても超一流。そんな人は本当に滅多にいない。やはり誰にも、特技は1つ2つであって、それを伸ばすことが要求される。
確かに、社会のあり方というものには、どうしても影響されてしまう。それは否めないことである。しかし、かと言って自分の長所を何も磨かないまま、気 づかないまま終ってしまったら、まさに宝のもち腐れである。社会のあり方を知って、その影響をしっかりと受け止め、それでいて自分の長所を知る事で、 良い選択が出来るはずだ。「相手を知り、己を知れば百戦危うからず」という言葉が示す通りだ。我々、そしては、自分の長所を「活かす」技術と、それに目を むける発想を持たなければならないのだ。  

 
                                                 
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