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バッド・カリキュレーション |
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眠雨 |
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うき |
高1 |
人間の理性は、他の動物の持つそれとは別種のものであると言われる。冷たいカリキュレーションに支配されたそれは、自然が本能としてもつ「常識」を |
片っ端から切り捨ててきた。自然界において、狩りでなければ如何なる殺し合いであっても、喉を見せた狼は降服したものとしてそれ以上甚振られはしない |
。だが人間は、容赦なくそれを撃ち抜く。肥大化しすぎた理性は、しなやかに美しい本能の輝きを忘れている。我々は、もっと動物に倣い、自然の一部だっ |
たころの心を取り戻すべきだ。 |
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方法としては、社会の歯車をもっと善意主体のものに変えていくことがある。抽象的な言い方だが、打算に彩られた理性によって今の社会は運営されてい |
る。どこが幾ら儲けた、誰と組むと有利だ。資本主義の落とし穴と言おうか、低俗な空間で電卓ばかりが叩かれ、誰かに優しく生きることが踏み消されてい |
る。動物に打算があるだろうか。理性を持たないがゆえに、かれらの行動は時に眩しく私たちを灼く。ハイエナの母親は、子を守るために巣穴に残り必死で |
戦う。何故か。子を愛しているからだ。単純にそれだけだ。それだけだが、それが今の私たちに足りない。私の参加している多人数型ネットゲームで、私の |
操るキャラクターが倒れたことがあった。その時に友人たちは、頑張れと励ましながら(ゲーム内の架空の通貨ではあるが)またもとのレベルへ復活するた |
めの送金をしてくれた。何も得することなどないのに。あくまでゲーム、あくまで架空の通貨ではあるが、隣人の悩みに手を差し伸べる、そんな理性に殺さ |
れた善意を、もっと社会運営の中心に据えていいはずだ。 |
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また、いきすぎた科学技術の「進歩」を抑制するというのも挙げられる。人間の欲望は止まることを知らず、やれ核兵器だやれヒトゲノムだと、次々に新 |
しい技術を模索している。その姿勢自体は悪いことではないが、既に普通に生活する分には充分な領域に、科学は達している。進歩しすぎた理性は、人を殺 |
す。機微を殺す。精神的な面での、生物として大切ななにかを殺す。そのなにか…人間性を犠牲にしてまで、今さらの進歩は必要な伊野ではないだろうか。 |
例えば元冦の折に、戦いにすら儀礼を重んじる日本軍と、鉄砲を携えた元軍がぶつかった。台風の介入によって失敗には終わったものの、戦いの経過は終始 |
元軍が優勢だった。一々名乗りをあげてから騎馬武者が突撃する日本軍と、問答無用で引き金を引く元軍と、どちらが現代的な戦略で妥当であるかといえば |
当然後者である。しかし、敵軍にすら敬意を払い礼儀を以って接する、いわば「敵に塩を送る」的な行動は日本でなければできなかったろうし、忘れてはい |
けない大切なことだろう。敵とは切磋琢磨することによって互いにより一歩高い段階へ進める存在だ。そうとらえることができてこそ、我々は進歩できるの |
だ。 |
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確かに、我々にはせっかく脳も言葉もあるのだから、わざわざそれを捨てて獣に戻れというつもりはない。また今さら科学を捨てよと言っても、脆弱にな |
りすぎた人間には不可能であろう。だが、獣としての良さ強さもあることを忘れてはならない。情が疎まれ軽んじられているが、情を捨てて何が人か。効率 |
のいいやり方、打算、理性。本来利用するはずのものに人間が利用され、操られている姿は滑稽である。我々が本来もっているはずの、輝かしい人間性は、 |
同時に素晴らしい。自分の心の芯の奥の奥へ響かない、嘘くさい理屈など入る余地はない。我々はもっと理を払い、情を開いたほうがいい。開いていい。 |
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