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お金にかえられない価値 ウグイスの広場
ひろりんあしゆ中1

 今日、山の木が建築物に変わるまでの間には次元の異なる二つの過程が重なり合っている。それは使用価値と商品価値の違いによって生ずるズレ、といっ
てもよいのだが、木自体がもっている価値を生かすか、商品としての木の価値を優先するかを巡って木に携わるものたちもまた動揺してきた。たとえば、国産材を引く工場と輸入材を引く工場とでは、雰囲気がだいぶちがう。国産材は木目の出具合を読む職人の経験やカン、コツが工場を支えている。ところが輸入材は、柱のない家の部材になることが多いから部品を作る自動車工場のようである。山の木を単なる商品にしてしまわないためには、職人的な腕が生きていなければならない。木の特性を活かしていこうとする大工の腕などが健在である間は、木と人間は一体化して、木の文化をもつくりつづけることができる 

 お母さんが作ってくれて、幼稚園のころからある手提げがある。マロンクリームや赤の布を使っていて、真ん中には「ばばひろこ」とすわっているねこが
貼ってある。見るからに幼稚園や小学校低学年が使いそうなものだ。本来なら捨てて新しいのを買うものだが、捨てようという気持ちも起こらない。私が物を捨てたがらない人というのもあるが、お母さんの作ってくれたものだし、9年間の思い出が詰まっている。お金にかえられない価値、というやつだ。 

 木も同じだと思う。商品価値も大切だ。しかし、木はもともと商品ではないし、それ以上に大切なものがある。それがわかる心や大工さんは必要だし、機
械化になりつつある今こそ職人の技は重要である。                           
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