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時間という牢屋の中で アジサイの広場
太公望うの高2

 本来時間というものは、人間が作ったものであるはずなのにいつしか人間は時間に縛られて行動するようになった。現代社会では時間通りに動くことが大
切にされているがはたしてそれが人間にとってよいものなのかが問題である。確かに人間のような知的動物は、社会を構成するにあたって不可欠なものである。これは決して覆すことができないことである。 

 しかし、このことは人間がいてはじめて成立することであってまず人間本位で考え直さなければならない。人間は、子供の頃は、時間に縛られず好きな事
はいつまでも続け嫌いなことはすぐ辞めるということをやっていたはずだ。これが人間本来の生活の仕方ではないだろうか。しかし、今日の社会では幾ら好きな事でも時間が来たら止めざる終えない状況である。例えば本来ならずっとゲームをしていたいのだが次の日は学校があるといって仕方なくやめるということをよく友人から聞く。中にはいつまでもやっていて学校で寝ている友人もいる。時間に管理されている人が聞いたら「なんてやつだ」と思うかもしれない。しかし、これが本来の人間の姿である。なのに、人間として本来の行動をしようとしたら俗世間からはなれる必要がでてくる。 

 人間は、昔は時間に追われるような生き物ではなかったはずである。縄文時代などは、太陽が昇ったら起きて太陽が沈んだら寝るという状況であったはず
だ。それが今では時間を自由に扱うことができなくなり時間に追われる羽目になってしまっている。これは人類の進化の過程で当然のことだからしょうがないと諦めてしまえばそれまでである。 

 私達は、人間として本来の生き方を見直すべきである。今の時間に追われることが人間に大きな負荷を掛けているので様々な問題を引き起こしている。犯
罪や病気なども問題の一つである。私達もRPGゲームの呪文のように時間を自由に変えられたなと思うのだがそれは夢物語かもしれない。しかし、人間が時間に踊らされているようでは大した生き物ではない。人間は、常に進化している生き物であるから何れこの問題を克服するかもしれない。というより克服しなければ人間であることを捨てるということになる。 

 
                         
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