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ミイラとりがミイラになる アジサイの広場
れもんふれ小4

 わたしが、この話を読んで、一番不思議に思ったことは、いつもなら、病気になったら、すぐに、お医者さんに見てもらいに行くのに、なぜ、このような
ことになると、お医者さんが、 

 「ミイラは、薬にはならないよ。」
 

 と何度も言っても、ミイラの薬を、買う人がいるのか、ということ、そして、自分の命まですてて、ミイラを取りに行くか、ということです。取りに行く
人は、ミイラをみつけただけで、お金がもうかるからだと思いますが、お金と自分の命は、どちらが大切かと聞いたら、たぶん、自分の命と答えると思います。 

 わたしも、「ミイラ取りがミイラになる」のようなことがあります。どのようなことかというと、それは、冬で、雪がふっている頃の話です。わたしは、
友だち三人と、九時に、デパートの入り口で、待ち合わせをしました。そのデパートには、ドアが三つあることを、そのときのわたしはすっかりわすれていました。そして、はりきって、デパートの近くまできたときに、やっと気がつきました。(あれっ。入り口っていっても、どこの入り口だろう。)わたしは、ふとそう思いました。でも、そのときのわたしには、どうすることもできません。もう行くしかなかったのです。わたしはまず、一番大きな入り口のところに行ってみました。なぜ、こんなに感がいいのでしょう。なんと、友だちが立っていました。ぶじ、友だちと会うことができました。ちゃんちゃん・・ 

 と終わってしまうと、「ミイラになるとりがミイラになる」とは、ちがう話になってしまうので、もう少し書きます。
 

 そして、ぶじ、友だちと会うことができました。と安心したのも、つかのま。
 

 「あれ、もう一人は?」
 

 ということに、なってしまったのです。
 

 「ちょっと、さがしてくるね。」
 

 わたしは、さがしてくることにしました。まずは、二つの、入り口に行ってみましたが、いません。「あれ?」と思い、友だちが行きそうなところにどん
どん行ってみました・・・が、いません。とあたりを見回したしゅんかん、「あれ、ここどこ?」になってしまいました。「えっと、エスカレーターを、?回のぼって、?回おりたんだから、あれ、もう、わからなくなっちゃった。」 

 仕方がなく、もう、まるでハムスターのように、がむしゃらに歩いて、やっと、エレベーターを見つけました。「もう、友だちのところに帰ろう。」と思
いついたら、もう、わたしがさがしに行った友だちは、来ていました。 「トイレに行ってただけ。」 と友だちに言われて、がくっときました。 

 このように、ふだんの生活で、ミイラ取りがミイラになるということは、よくあることだと思います。   
 

 
                 
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