現代における人間関係の問題点 |
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広行 | / | いてわ | 社 |
我々はこの社会の一員である限り一生人々と接さないで過ごすものはいないであろう。それだけ今日では人間関係の比重が極めて重いということ |
が伺える。そんな様々な関係がうまく作っていける、或いは保っていけるときは良いが、関係の中で話し合ってもうまくいかなくりいきづまった時 |
はどうすればいいのだろうか? 現代社会では「法」を最後に頼るしかないのが現状である。しかし「法」だけに頼るのは最善の「策」なのだろう |
か? 私はこの「法」による解決の問題点と「話し合い」による解決の問題点を次の例を参考に述べたい。 |
アメリカでは訴訟社会と呼ばれているように話し合いで解決するよりも裁判で解決しているのが大多数なのは周知のとおりである。この方法の良 |
い点は、”「法」というものは皆で立案し賛成して作り上げたものだからこれに沿って解決すれば皆納得するはずである。"という理論だ。確かに皆 |
で賛成したものだから納得するはずというのは正しい考えだと思える。しかし人間はその理論を頭でわかっていても感情というものを持っているの |
でなかなかどうして納得できない、また自分に非がないと思えば絶対納得するわけにはいかないのである。また”納得するはずである”という考え |
は仮定であって、断定ではない。したがってここにある種の信頼関係を求めている節がある。こう考えてみるとこの方法が最善の「策」とは到底思 |
一方の日本では信頼関係を第一とする寄合社会であると言える。この社会が考えている在り方としては私はかなり理想に近いと思えるが、しかし |
、この社会では一部の人間だけで凝り固まり、その一部で利権をまわし自らだけを繁栄させていこうとする傾向がある。つまり人間関係すなわち当 |
事者同士による話し合いだけでは社会のモラルや平等を保っていくことができないであろう。 |
そうとなればいかにして人間関係やその平等を保ち、尚且つ問題が発生したときに対処すればいいのだろうか? それはやはり「法」の見直し、 |
整備と人々の間にある”信頼し合う"という意識の共有である。今日の社会にある様々な人間関係の中で既にある「法」だけではもはやすべての人々 |
に対応しきれないし話し合いになる土台すら作れていない。また意識の共有だけでは当事者同士のモラルの範疇を超えたものになれば、彼らだけで |
は解決できない。したがって「法」の見直し、整備を推し進めながら、意識の共有をしていく必要があると考える。 |
確かに「法」のみを徹底的に練り上げ実行していけば、社会や個人の問題はよりスムーズに解決しているように見えるであろう。しかし、それは |
見えるだけの表面上の解決であり、心の解決ではない。「法」の見直しや、整備で平等な社会、話し合いの場を作り人間のモラルに頼る部分を少し |
残しておき話し合いで解決していく。そのような暖かい世の中がやってくれば、人々は幸せにそして理解し合い信頼し合える社会になるだろう。 |